政治まで「消費」してしまう社会

【藤井】タコつぼ化していて、その弊害として単純な歴史観を持つ人が増えているのもその通りでしょう。ただ私の考えだと、大きな物語は二〇世紀までのものです。近代国家が形成され、工業化社会で人口が増えていき、社会の富も爆発的に増大し、人々は確実に豊かになっていく。日本だとそのプロセスにおいて、「中流意識」という言説が多くの人々にとっての大きな物語になりました。大きな物語は社会的な現実とのつながりがなければ説得力はありません。

私も新しい物語は必要だと思います。ただ現在の社会を考えた上で、どのような物語が可能なのか。それが昭和の時代にあったような大きな物語だとするなら、その創造は非常に難しい。例えば陰謀論は物語ですよね。あまりにも記号化されすぎていて、そこになにかしらの裏付けが欲しい。そこでバラバラのキーワードをつなげて、「日本会議がすべて操っている」とか「安倍政権が勝つのは不正選挙」だと陰謀論をつくってしまう可能性もあります。

今日話を聞いていて面白いと感じたのは、高度消費社会が政治まで消費したなれの果てが現在だということです。そこからどう脱するのか考えると、私は悲観的にならざるを得ない。消費社会を成り立たせている下部構造が変わらない限り、なかなかここから抜け出せない。この不毛な争いが続くんじゃないかな。

【辻田】政治という記号を消費する、「高度政治消費社会」になってしまったと。これからの「物語」はある種の安全装置のようなものだと思っています。おそらく経済状況も変わり、これから新しい歴史の転換点が来ると思うのですが、今は暴発を防ぐ物語がまったくないのでつなぎが欲しい。それで時代の変化を待つしかないのかなと。