どこに人間の仕事を見出していくのか

では、そうした時代になると人間のやることはなくなるのでしょうか? 確かに、ある種のことについては、コンピュータの能力は、人間を上回っています。囲碁やチェスなどの分野で、人間がコンピュータと張り合っても無駄です。しかし、すべてのことについて人間が劣るかと言えば、そんなことは決してありません。実際、現在のAIが人間と同等以上にできるのは、特定の分野にかぎられています。これを「特化型AI」と言います。

野口悠紀雄(著)『「超」独学法 AI時代の新しい働き方へ』(KADOKAWA)

多くの人がAIについて持っているイメージは「汎用(はんよう)AI」でしょう。人間以上の感覚と判断力を備え、人間と同じように考える「スター・ウォーズ」の「C-3PO」など、SFや映画の中に出てくるAIです。しかし、人類はそれを(少なくとも現在の時点では)実現できていません。

さらに重要なのは、AIが作業を代替することによって、価値が高まる人間の仕事もあるということです。これからは、「どこに人間の仕事を見いだしていくか?」を問い続けることが求められます。

AIの時代において重要なのは、「私が知りたいことは一体何なのだろうか?」、あるいは、「私がすべきことは一体何なのだろうか?」を問い続けることです。これこそ、知識の探求における、最も重要な課題です。そして、それは、その人がそれまで習得した知識と問題意識によって決定されます。

新しいアイデアを発想するためには知識が不可欠

AIによって自動翻訳が発達すると、外国語の勉強は必要なくなるのでしょうか? 決してそんなことはありません。自動翻訳では微妙なニュアンスは伝えられないことが多いのです。また、正確な翻訳が必ずしもよいわけではありません。

文学作品であれば、翻訳された作品と本物は別のものです。ゲーテの『ファウスト』は、ドイツ語でしかその真価を理解することはできません。英語に翻訳しただけで、その価値が大きく減少してしまうのです。だから、いかに自動翻訳が発達しても、外国語を習得することには大きな意義があります。外国語を使える能力は、どんなにAIが発達しても要求されるでしょう。

グーグルの元CIO(最高情報責任者)は、「インターネットの普及で知識は簡単に手に入るようになったから、知識は経済的価値を失った」という趣旨の見解を自著で述べています。あるいは、知識は外部メモリにあればいいという意見もありうるでしょう。確かに、物知りの価値は低下しました。