女性はもともと疎外されていいた

私はこれまでさまざまな編集部で仕事をした。企業数だけでも6社になる。その中でセクハラだと感じたのは、もっと複雑で構造的なものである。

私が社会人になった30年前、職場のほとんどは男性だった。女性がほとんどいない、ということ自体がセクハラである。仕方なく、男性と同化しようと努力すれば、「オナゴのすることじゃない」などととがめられる。

幸いなことに、週刊誌業界は、少し妙なアプローチから、世の中に蔓延する構造的なセクハラ状態をかわすことができた。汗臭い男性と同じ仮眠室で堂々と眠ることはもちろん、男性ばかりのグループとカラオケボックスに行き、そこにいる皆がズボンやパンツを脱ぎ始めたら、自分も脱いだ。

男性と一緒にキャバクラに行くことは、セクハラどころか、男性の仲間に入れた、とうれしく思った。それほど女性は、もともと疎外されていたのである。

職場で多くの女性は化粧をしているが、なぜ化粧をするのだろうか。化粧をしていなければ「だらしがない」と言われる一方で、きちんと化粧していれば「女を使っている」といわれることもしばしばである。

元総理に「近い」女性は乳房が豊かだった

10年も記者を続ければ、そんな環境にも慣れてくるどころか、開き直る根性も備わる。ある時、当時も自民党の重鎮だった元総理の女性スキャンダルの取材チームに加わった。命じられたのは、ミニスカートがトレードマークだったある女性秘書との間に男女の関係があるかどうか、直接、元総理本人に確認することだった。どうしたら相手が話に乗ってくるか、必死に考え、その元総理と近いといわれる女性は皆、乳房が豊かだ、ということに気が付いた。私は大きなシリコンカップのついたブラジャーをして追い掛け回した。ようやく捕まえ、一緒にエレベーターに乗ることに成功し、狭い空間の中でここぞと、胸を突き出しつつ、畳みかけるように質問した。すると元総理の硬い表情が緩み、「急いでいるので歩きながら話そう」と取材に応じてくれたのだ。

この「偽おっぱい」について、「女を使った」と一括りに言うことこそがセクハラだと思う。相手の好物を事前に取材し、好きな銘柄の酒や食べ物を持っていくのとどこが違うのか。十分な取材のために相手との距離感を縮める目的で手練手管を使うのは当たり前である。

逆に「女性に大事な話はできない」という男性とも大勢、遭遇してきた。そんなときには、化粧もせず、髪もなるべく小さくまとめ、絶対にスカートは穿いていかない。

大きな乳房であろうが、化粧をして愛想よくふるまおうが、高級料理をごちそうする男性記者と変わりはないはずだ。