丸々一冊を読破する必要はない
テーマを「徳川将軍家」に設定したからといって、ジャンルを「歴史」などと一対で設定するのも無意味だ。教科書的な基礎知識はひと通り得られても、「あなたならでは」の洞察力や示唆を得て新たな発想が生まれるかといえば、期待は薄いわけだ。
「テーマを主、ジャンルを従」とするのは、領域を横断するインプットにより、様々なジャンルの知識が組み合わさり、新しいアイデアが生まれることを期待してのことなのだ。書籍の分類としてのジャンルに縛られる必要はない。「歴史」「文学」「経済」「心理学」「教育」等々はジャンルだ。書店や図書館では、書籍はこれで分類されている。一方、テーマとは自分が追求したい「論点」のことだ。たとえば「衰退する組織はどこに原因があるのか」「イノベーションを起こす人材はどのようにして生まれるのか」などといった、自分への問いかけである。
テーマが主、ジャンルが従となれば、書店の歩き方も変わるだろう。自分が立てた問いやテーマに対し、「何かヒントはないか」と、“昆虫採集”のように様々な売り場を見て回ることになる。
テーマが明確になっていれば、すべての本について、丸々一冊を読破する必要もない。たとえばキンドルバーガーの『経済大国興亡史 1500-1990(上・下)』を手にしたら、自分の気になるところだけに目を向ければいい。
ただ、そうして「テーマ」を立てること自体が、実は最も難しいことかもしれない。テーマを見つけるには、気づいたことや気になること、あとで調べたいことを、ひたすらメモとして残すといい。紙とペンを使っても、Twitterにつぶやいて蓄積してもいい。いいテーマが浮かぶと、いいリサーチができる。そしてそのコンテンツが自分の中にしっかりと残り、知的武器が増えるとともに知的戦闘力が高まるのだ。
コーン・フェリー・ヘイグループ/シニア・クライアント・パートナー
1970年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通などを経て現職。専門はイノベーション、組織開発、人材・リーダーシップ育成。著書に『知的戦闘力を高める 独学の技法』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』ほか。