仕事の愚痴ばかりの人は、自分が「反省しない人」
(4)「反省する」
仕事をしていると、愚痴をこぼしたくなることもあります。そういうときは、客観的に自分を見ることが大切です。嫌な上司や無能な部下、平気でウソをつくような取引先がいることもあるでしょう。そういう場合でも、まず自分でできることを考えるのです。愚痴の原因を攻撃するのではなく、解決するために自分がやれることを精いっぱいやる。そのことで突破口は見つかるかもしれません。
松下幸之助さんは、「自己観照」をしばしばしていたようです。
自己観照。これは、自分を見つめることです。頭のイメージの世界で、自分の心を自分の中から外へ出し、そしてそれを客観的に見つめる。なかなか難しいことですが、訓練すると次第にできるようになります。そして、自己観照によって、自らのとらわれや思い込みに気がつき、これを正していくことができます。その結果、自分本位な考え方にならず、物事を正しく判断できるようになるというのです。
一般的に、仕事でうまくいかないことが続出する人は、「反省しない人」かもしれません。何かトラブルがあると、相手や世の中に文句を言います。結果、理屈ばかり上手になっていく。文句を言っていても、何の解決にもなりません。365日好調という人はいません。時には失敗する日何をしてもダメな日もあります。そんなときは自分のどこが悪いか、静かに振り返ってみる時間をつくることが大切なのです。
(5)「私心にとらわれない」
前出の『素直な心になるために』の冒頭に「素直な心」のあり方のひとつとして、「私心にとらわれない」ということが出てきます。私心とは「自分だけの利益や欲望にとらわれる」ということです。
「私心にとらわれない」ようにするのは難しいことです。松下さんも「私心が全くない、というような人間は、いってみれば俗事を超越した神の如き聖人であって、お互い凡人がそう簡単に到達しうる境地ではない」と述べています。そんな境地にはなかなかなれないのです。
松下さんはこう続けます。
「やはり、ふつうの場合は、それなりの私心をもって日々の生活を営み、活動を続けているのが、お互い人間の姿といえるのではないでしょうか。また、それはそれでよいと思うのです」
そうなのです。私たちは、なかなか私心から抜け出せないものなのです。しかし、大事なのはその後です。松下さんの文章はさらに続きます。
「私利私欲の奴隷になってはいけない」
「私心にとらわれて物を考え、事を行うということとなると、やはりいろいろと好ましからざる姿がおこってくる」
つまり、私利私欲はなくせないが、私利私欲にとらわれてはいけないということなのです。京セラの創業者・稲盛和夫さんも、物事を判断するときには「動機善なりや、私心なかりしか」とおっしゃっていますが、やはり成功する人は、全体のことを優先して考える、儒教で言う「先義後利」(道義を優先させ、利益を後回しにすること)ができているのだとつくづく思います。