象から降りてできることがある
象(=感情・直感)と乗り手(=理性)の関係についても、ヒースは「ハイトが描いた構図には重要なピースが欠けている」と指摘して、次のように述べている。
<象使いには象から飛び降りて、象が進んでいく環境を改めて整えるために、地面の状態を直す能力もある、と考えてみてほしい。そうすると、左に行ってほしければ、象にそっちへ行けと蹴りつけたり怒鳴ったりするよりも、象から飛び降りて象が怖がるもの(ひょっとしたらネズミとか?)を右側に置けばいい。ふたたびその背に乗ったときには、あなたは象をコントロールしている>
強力な感情や直感を直接コントロールすることは難しい。しかし、理性の力で適切な環境や制度をつくりだすことによって、間接的に直感や感情の方向をコントロールすることができる。
さらにこの比喩には、理性に対する新たな見方が示唆されている。すなわち、理性や合理性は個人ではなく、集団や環境のなかでこそ威力を発揮する、という見方だ。
ヒースは理性を無力と考えてはいない。だからハイトのように、左派やリベラルも直感や感情に訴えかけよ、というような処方箋は拒絶する。それでは、右も左も「クレイジー化」に拍車をかける結果しかもたらさないからだ。
では、ヒースが提示するような新しい理性観には、どのような可能性があるだろうか。理性の力は個人ではなく、集団や環境のなかで発揮されるとは、具体的にはどのようなことか。次回は、こうした問題について考えてみたい。