このように観れば、日本が近代以降に「西欧列強に伍(ご)すること」を大義と成し、現在に至っては自由、民主主義、人権、法の支配といった「近代の価値」の擁護を対外政策の旗印として掲げているのは、日本の人々が意識しているかはともかくとして、それが日本の「文明」に特質に照らし合わせて無理の伴わないものであったと評されるべきであろう。明治以降に英国、そして第2次世界大戦後に米国と同盟を結んだ日本の選択は、その表層だけを眺める人々の目には「覇権国家へのバンドワゴニング(追随)」と映るかもしれないけれども、それは、日本の「文明」の特質に照らし合わせて無理のないものであったが故にこそ、成功を収めたのである。
自らの「文明」に立脚した選択を
目下、「中国の隆盛と米国の退潮」という客観情勢を前にして、日本の人々は、自らのものとは相容れない「文明」
そして、中国が異質な「文明」の下にある国家であればこそ、それを自覚した上で中国に向き合う論理を自省することは、今後の日本にとって大事な意味を持つことになろう。
(文中、敬称略)
国際政治学者。東洋学園大学教授。1965年生まれ。北海道大学法学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。衆議院議員政策担当秘書などを経て現職。専門は国際政治学、安全保障。著書に『「常識」としての保守主義』(新潮新書)『漢書に学ぶ「正しい戦争」』(朝日新書)『「弱者救済」の幻影―福祉に構造改革を』(春秋社)など多数。