A級戦犯に送った追悼メッセージ

だが、この時も安倍官邸の対応は冷ややかだった。以前から、平和憲法を守ろうという天皇皇后に対して、主権在権(力)を目指し、いつでも戦争のできる「普通の国」にしようと、改憲をもくろむ安倍との確執は、見えないところで火花を散らしていたのである。

2014年、安倍はA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に、自民党総裁名で追悼メッセージを送っていた。

連合国による裁判を「報復」だとし、処刑された者たちを「昭和殉教者」と慰霊する法要で、安倍は戦犯たち全員を「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と書いてあったという。

その2カ月後、皇后が80歳の誕生日前のコメントで、中学生の時A級戦犯に対する判決いい渡しをラジオで聞き、その時の強い恐怖を忘れることができない、その怖れは、「恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」。

私見だが、国や国民に対して責任を負うということは、どれほど身の震えるような重大なことか考えたことがあるのかと、安倍に向けていいたかったのであろう。

日本では、どうしても記憶しなければならないことが4つある

天皇はことあるごとに、「終戦直後よくいわれた平和国家、文化国家という言葉は私達の世代のものには懐かしい響きがあります。これをもう一度かみしめてみたい」(41歳の誕生日を前に)と語っている。

皇太子時代にも、「日本では、どうしても記憶しなければならないことが4つあると思います。昨日の広島の原爆、それから明後日の長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日」。

それに終戦の日である。平和のありがたさをかみしめ、平和を守っていきたいと結んでいる。

激戦地サイパンを訪れた時も、「日本には昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていくためにも極めて大切なことと思います」。

2015年には日本兵約1万人、米軍兵士約2000人が命を落としたパラオ共和国のペリリュー島を訪問して、悲しい歴史があったことを決して忘れてはならないと述べている。

中でも沖縄への思いは強く、何度も訪れている。1996年の記者会見では、「沖縄の問題では、日米両国政府の間で十分話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」。