一般に天皇の信仰は神道であると考えられている。しかし天皇自身が明言したことはない。なぜ神道だと考えられているのか。その根拠のひとつが「三種の神器」だ。さまざまな祭祀で使われているが、天皇さえ実物を見ることはできないという。それでは天皇の「神聖さ」とは、どういう意味なのか。宗教学者の島田裕巳氏が問う――。(第2回)

※本稿は、島田裕巳『天皇は今でも仏教徒である』(サンガ新書)の「第1章 近代が大きく変えた天皇の信仰」より抜粋したものです。

皇居の奥深くにある宮中三殿

「はじめに」でもふれたように、一般には、天皇、あるいは天皇家の信仰は神道であると考えられている。だが、そのことを、天皇自身は明言していないし、憲法に規定されているわけでもない。

ではなぜ、天皇の信仰は神道であると言えるのだろうか。

その根拠の一つとなるのが、皇居にある「宮中三殿」の存在である。

島田裕巳『天皇は今でも仏教徒である』(サンガ新書)

皇居の西側の部分は、「吹上御苑(ふきあげぎょえん)」と呼ばれる。そこには、昭和天皇夫妻が住居とした「吹上大宮御所(ふきあげおおみやごしょ)」や現在の天皇夫妻が住む「御所(ごしょ)」があるのだが、そのほかに、宮中三殿が設けられている。一般の市民がそこに足を踏み入れることはできない。

宮中三殿は、「賢所(かしこどころ)」、「皇霊殿(こうれいでん)」、「神殿(しんでん)」と呼ばれる三つの建物からなっている。賢所が中心で、そこには、皇室の祖神とされる天照大神が祀られている。皇霊殿では、歴代の天皇や皇族の霊が祀られている。神殿では、天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)からなる天神地祇(てんじんちぎ)、そして、天皇を守護する神産日神(かみむすびのかみ)以下8柱の神が祀られている。

宮中三殿においては、「宮中祭祀」が営まれている。戦前において、宮中祭祀は、皇室に関係する天皇の命令である「皇室令(こうしつれい)」に含まれる「皇室祭祀令(こうしつさいしれい)」によって規定されていた。だが、戦後においては、皇室令は廃止されている。現在の宮中祭祀については、法的な裏づけはない。あくまで天皇ないしは、天皇家の私的な祭祀と位置づけられている。

年間の宮中祭祀をあげれば、次のようになる。

1月1日 四方拝(しほうはい)、歳旦祭(さいたんさい)
1月3日 元始祭(げんしさい)
1月4日 奏事始(そうじはじめ)
1月7日 昭和天皇祭(しょうわてんのうさい)、昭和天皇祭御神楽(みかぐら)
1月30日 孝明天皇例祭
2月17日 祈年祭(きねんさい)
春分の日 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、春季神殿祭(しんでんさい)
4月3日 神武天皇祭、皇霊殿御神楽(こうれいでんみかぐら)
6月16日 香淳皇后例祭(こうじゅんこうごうれいさい)
6月30日 節折(よおり)、大祓(おおはらい)
7月30日 明治天皇例祭(めいじてんのうれいさい)
秋分の日 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)、秋季神殿祭(しんでんさい)
10月17日 神嘗祭(かんなめさい)
11月23日 新嘗祭(にいなめさい)
12月中旬 賢所御神楽(かしこどころみかぐら)
12月23日 天長祭(てんちょうさい)
12月25日 大正天皇例祭(たいしょうてんのうれいさい)
12月31日 節折、大祓

全体で18回にのぼる。こうした皇室祭祀は、「大祭(たいさい)」と「小祭(しょうさい)」に区別される。大祭は天皇自身が祭祀を主宰するものであり、小祭は天皇の私的使用人とされる掌典長(しょうてんちょう)が祭祀を行い、天皇は礼拝だけをするものである。今あげたもののうち、大祭は、元始祭、春季皇霊祭と春季神殿祭、神武天皇祭、秋季皇霊祭と秋季神殿祭、神嘗祭、新嘗祭である。他はすべて小祭である。

大祭と小祭のほかに、毎月の1、11、21日に行われる「旬祭(しゅんさい)」がある。また、臨時に「式年祭(しきねんさい)」が営まれる。これは、歴代の天皇の崩御(ほうぎょ)から一定の期間が経ったときに行われるもので、仏教の年忌供養にあたる。宮中祭祀が報道されることはほとんどない。だが、毎年、こうした数多くの祭祀が、皇居の奥で営まれているのである。