しかし、異性の奪い合いや、戦争、ビジネスにおいて、自力に勝るほうが必ず勝つとは限らないのも、また事実だ。こんなケースも考えられるだろう。

ライバル2人のヒートアップした争いにすっかり嫌気のさした肝心の異性が、まったく違う第3者になびいてしまい、結局、婚約して終わってしまった……。

現実でも、ままありがちな形だが、「1対1の決闘」と思い込んでいたら、ライバルがほかにも隠れていたのだ。

実は、こちらのライバル多数状況を前提に、戦略を考えていたのが『孫子』にほかならなかった。『孫子』には、次のような、よく知られた名言がある。

・100回戦って100回勝ったとしても、それは最善の策とはいえない。戦わずして敵を屈服させることこそ最善の策なのだ(百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり「謀攻篇」)

なぜ、100戦100勝が最善とはいえないのか。100回戦っているうちに、財力や体力をすり減らしてしまい、101回目に第3者に漁夫の利をさらわれてしまえば、愚かの極みでしかないからだ。

つまり戦略とは、対象となるライバルの数によって採るべき方針を変えていかないと、うまく機能してくれない面があるのだ。特に、ライバルが多数いるのに、1対1の決闘だと思って戦ってしまえば、第3者に漁夫の利を提供するだけになりかねない。

実際、ビジネスにもこんな例がある。1990年代の半ば、とある県の書店が、ライバル書店と熾烈な出店競争を展開、お互い「潰すか潰されるか」の戦いを繰り広げたことがある。しかし結局、両者とも経営資源をボロボロにしてしまい外部の書店に買収されてしまった――。

勝負事を制したければ、まずライバルの数に注意深くなる必要のあることが、『戦争論』と『孫子』との対比からは見えてくる。