30歳を過ぎて、そろそろ結婚相手でも探そうかと思っていた矢先、理想の異性に突然めぐり合った、とする。
ところが、折悪しく同じ異性に魅了されたライバルが出現、気を引こうとモーションをかけているではないか。
こちらも負けじと、あの手この手を尽くして歓心を買おうとし、異性への好意やプレゼントの競争が次第にエスカレートしていく……。
年頃の男女が多い職場であれば、ごく普通に起こりがちな光景の1つだが、実はこれとそっくりの話が、クラウゼヴィッツという人物の書いた『戦争論』の中に描かれているのだ。
クラウゼヴィッツは19世紀の初頭、ヨーロッパで活躍した軍人だが、彼はその著書『戦争論』の冒頭で、戦争の本質を次のように描いてみせる。
《戦争とは、決闘が拡大したものに他ならない》(『戦争論』淡徳三郎訳 徳間書店)
確かに、この異性の奪い合いにおいても、ライバルとの争いは1対1、しかも相手に負けたら、自分には何も残らない状況、まさに決闘と同じなのだ。
しかも、こうした戦いは、「相互作用」を往々にして起こす、とクラウゼヴィッツは分析する。
「相互作用」とは、たとえるとこんな感じだ。
ライバルが居酒屋に異性を誘ったという話を聞けば、こちらは対抗して馴染みのイタ飯屋に誘う。すると、ライバルは対抗心むき出しに高級フレンチに誘い……つまり、お互い相手に負けないよう、打ち手がエスカレートしていく現象が「相互作用」なのだ。
こうなると、論理的にいって勝負は、当然、財力のあるほう――戦争であれば国力、企業経営であれば経営資本の強大な側が勝つことになる。