仕事が終わり、帰宅する都内一等地の一軒家はいつも真っ暗です。家庭を顧みずに働き続けた結果、妻とは離婚調停中。愛する一人娘は妻が連れて行きました。娘は妻の味方なので、もう1年も会っていないといいます。さらに自身の身体も長年のムリがたたり、生活習慣病を抱えていました。会社でも腹を割って話ができる相手はほとんどいません。
最近、服部と話をする機会がありました。昔の面影はそのままですが、さすがに疲れは隠せません。最後に彼はポツリと自嘲的につぶやきました。「結局、競争に負けたヤツは、すべて失うんだよね……」
「頑張ること」が行動原理になってしまった
これは実際にいる知人をモデルにして一人の話にまとめたものですが、あなたの周りにもきっと同じようなかつての「モーレツ社員」がいると思います。
彼の何が問題だったのでしょうか? 結論を言えば、「社内の出世競争」だけを考えてきたことです。彼は新入社員時代から、団塊の世代である上司に自分が得意な「頑張ること」を高く評価されてきました。不幸なことに「頑張ること」が彼の基本的な行動原理になってしまったのです。
服部の新入社員時代は、高度成長期末期の1980年代。大量生産・大量販売の「つくれば売れた時代」です。当時、効率よく大量生産・大量販売をするために、大企業は軍隊組織になりました。「24時間戦えますか?」というCMがはやったのも、この時代です。当時は、「競争すること」や「頑張ること」は、時代に合った合理的な考え方でした。頑張って競争しても得るものがありました。だから彼のような人材は、高く評価されてきたのです。
しかし30年近くたった今、消費者はワガママになり「つくっても売れない」時代になりました。ニーズは多様化しています。この市場の変化をまとめたのが、次の図です。
高度成長期は、市場は大きなくくりでまとまっていました。このような固まりを英語で「セグメント」といいます。企業はセグメント化した市場ごとに激しく競争をしていました。彼のような「優秀な兵士」が必要だったのです。
高度成長期のように市場が成長していれば、全体のパイも拡大しているので、パイの争奪戦をしても得るものがありました。しかし今は市場そのものが縮小しています。戦っても得るものは減り、お互いに消耗する一方です。このようにライバルが激しく競争し合う市場を、サメ同士が獲物を食い合って血で真っ赤に染まった海にたとえて、「レッドオーシャン」と呼びます。
しかし市場が成熟した現代では、消費者はぜいたくでワガママになりました。ニーズが多様化したため、大きな塊のセグメントは粉々に粉砕されて、市場はまるでメッシュのように細分化された状態になっています。図の通り、市場は無数にあるといえるでしょう。このような細分化した市場では「顧客に特化する」ことが何よりも必要であり、競争する意味そのものが失われています。現代ではむしろ競争の兆候が現れたら、戦わずにできるだけ早くその場を立ち去り、戦わなくても済む新天地を探すことが大切です。