「マスゴミ」と切り捨てるのはもったいない
「政権に近い」というだけで拒絶する人もいますけど、僕からすればむしろそんな美味しい御馳走はなくて。要は政府筋の情報を出してくれるんだから、それはそれで参考にすればいいじゃんってことなんですよね。
たとえば2014年の衆議院の解散も、読売新聞は「解散へ」と報じたのに対し、他紙は「解散か」だったんです。「へ」と「か」ってぜんぜん違いますよね。そこで「読売は政権とズブズブだから情報をもらえるんだろう」とか「権力の犬になるのか」みたいな批判も当然あると思うんですよ。だけど、政権のことをよく知るためには、政権と近い新聞の記事をチェックするほうが効率的じゃないですか。読み手はそこを利用すればいい、という考え方ですよね。
でもいまだに、ジャーナリストや物書きを育成する機関としての新聞の存在感は圧倒的です。小説『罪の声』(講談社)がベストセラーになった作家の塩田武士さんも、取材力や筆力を鍛えるためにまず新聞社に勤務したと聞きました。
加えて、この数年、どの新聞社もデジタル版に力を入れ始めています。記者も自分の名前でTwitterを使うなど、ネットとの親和性を高めていく努力はしていますよね。裏を返せば、新聞がネットに本腰を入れたら、もともとネット媒体で活動していた人たちにとっては脅威になるはずです。新聞は誤りがあれば訂正も謝罪もするし、検証もされる。そこは信用できると思います。
新聞を「古いメディア」として切り捨てるのはもったいないですよ。ネットか紙かのどちらかではなくて、どっちも利用すればいい。そこで僕は、新聞を利用するひとつの方法を示したつもりなんです。「こう読めば、新聞もまだ捨てたもんじゃないよ」って。