公衆電話の部品を製造する町工場だった
大坪正人社長が入社する以前、由紀精密はいわゆる下請けの部品工場でした。旋盤工だった大坪氏の祖父が、1950年に創業。公衆電話を製造する大手企業の下請けとして、増産とともに設備増強を繰り返し、1991年まで右肩上がりで成長します。しかしバブル崩壊と同時に公衆電話の需要が減少し、売り上げは激減。別の顧客を見つけてコネクターの製造を受注しましたが、その顧客も2001年のITバブル崩壊で生産が急減速。多額の設備投資をした直後で、由紀精密は大きな負債を抱え、いつ倒産してもおかしくない状態にまで追い込まれました。
現在41才で3代目にあたる大坪正人氏が入社したのは10年前。ベンチャー企業に勤めていましたが、2006年に32歳で由紀精密に入社しました。就任当初から常務として変革を推進し、2013年に社長に就任しています。
大坪社長はどのようにして10年足らずで倒産寸前の町工場を、綺羅星のようなイノベーターに変えたのか。経営学者の私からみると、それは3つの経営学の視点で分析できます。
視点1「認知バイアスを捨てる」~取引先企業のアンケート
1つ目は、大坪氏が「社内の『認知バイアス』を捨てることを徹底した」ということです。
自社のビジネスについて、「当社の強みはこれ」「当社の事業分野はここ」といった思い込みが、事業の展開性を妨げているようなケースを、「認知バイアス」といいます。特に決まった顧客から長年同じ仕事を受注してきた町工場は、その傾向が強く残ることが多いものです。
大坪氏は入社後すぐ、自社の強みを分析するために取引先企業にアンケートを取りました。その結果、由紀精密は特別な技術力を持っているわけではないが、製品の仕上がりや良品率の高さといった「品質の高さ」が非常に優れていることがわかりました。社長も社員も、自社が「特別な技術は持っていない」ということは認知していましたが、自社の「品質の高さ」は認知していなかったのです。「この品質が当たり前」だと思っていたのです。
大坪氏はこの強みを生かすことを考え、新しく挑戦する事業領域を、航空宇宙と医療に定めました。どちらも人の命にかかわる領域であり、「品質の高さ」が何よりも優先されるからです。またどちらも無くならない産業であり、機密性が高いために、いったん契約を結べば長く続くメリットも魅力的です。
大坪社長は、「当社は航空宇宙や医療分野の仕事ができるほどの技術力を持った会社ではない」という思い込み(認知バイアス)を消すことに成功したのです。
これが可能だったのは、大坪氏本人が第三者的視点で、企業を分析する経験を重ねてきたことがあります。大坪氏は東京大学大学院を修了後、3Dプリンターによる高速金型製造を行うベンチャー、インクスに入社し、開発部門のリーダーとして同社の急成長を支えます。その後同社は野村プリンシパル・ファイナンスと共同で、ものづくり企業に投資するプライベート・エイクイティ・ファンド「雷鳥ファンド」を設立。大坪氏は技術コンサルとして買収した企業に入り、事業の立て直しを行いました。その経験から「この会社の本当の強みは何か」「チャンスのある事業領域は何か」などを分析する能力が鍛えられたのです。