余命1カ月宣告で自宅介護を覚悟した
小池氏の自宅は江古田駅から徒歩10分。環境への配慮にあふれたその家は「エコだハウス」と呼ばれている。屋根にはソーラーパネルを設置しているため、電気代はゼロ。雨水タンクで雨水を再利用し、夏はゴーヤで「グリーンカーテン」をつくり室温を下げるなど、「最新のエコ技術満載の私設実験場です」と語る。小池氏の母親の介護もこの家で行われた。
「多くの人が自宅での最期を望み、親を看取りたいと思っています。ですが、8割の人が家で最期を迎えていたのは、昭和30年代のはるか昔。社会環境が変化した今、誰もが簡単にできることではありません。肺がんが見つかっても、『最期まで好きなことをしたい。不自然な方法での長生きはしたくない』と言った母は、手術や抗がん剤治療をせず、『自宅ホスピス』のような形での最期を選びました。愛犬や介護をサポートしてくれる人たちに見守られながら亡くなったのは、彼女にとっての幸せな終わり方だったと思います。私自身、たくさんのことを学ばせてもらいました」
もちろん小池氏も、母親の体調がすぐれないときには入院という措置もとっている。しかし、検査疲れから弱っていく母親の姿を目の当たりにし、医師から「余命1カ月」を宣告されたことで覚悟を決めたという。
「自宅介護を決めたのにはいくつか理由があります。ひとつは、父の最期を看取れなかったことへの後悔です。父は、入所していた特別養護老人ホームで具合が悪くなり、併設の病院で最期を迎えました。あいにく兄はニカラグアへ出張中。母が本調子でなかったこともあり、私自身も母を連れて家に戻った矢先の出来事でした。父は、妻にも子どもたちにも看取られずに亡くなったのです。
もうひとつは、おばあさまを自宅で看取った事務所のスタッフから、『おばあちゃんも満足そうだったし、家族も幸せだった』と聞いていたからです」
とはいえ、その時点では、自宅介護が成立するかどうかの見通しさえ立っていない状況だったという。退院を決めてから、延命のための治療ではなく、末期がんによる痛みを和らげるための「緩和ケア」の経験豊富な医師を探し、自宅でもほとんど病院と変わらないケアが受けられる態勢を整えた。
「医療スタッフの次の問題は、必要な福祉用具の選定でした。ベッドひとつをとっても種類が多く、ベッドマット、車いす、シャワー用のチェア……正直、カタログを眺めて途方に暮れました。利用者がもっと楽に比較できるシステムがあればいいのに、と思います。そこで頼りになったのがケアマネジャーです。相談すると、すぐに病院に駆けつけて、母の様子を確認。翌日にはわが家の間取りや部屋の状況をチェックして、母のニーズに合わせたプラン作成にあたってくれました。
福祉用具のレンタル料金は、高くて月々500円くらい。ポータブルトイレだけは、衛生面への配慮から購入になりますが、それでも利用者の負担は1割だけ。介護保険制度の恩恵とともに、介護コストが膨らむ仕組みも痛感させられました」
厚生労働省は、団塊の世代が75歳以上となる9年後をめどに、重度な要介護状態になっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを続けられるよう、「地域包括ケアシステム」の構築を推進している。在宅医と訪問看護師を確保し、ケアマネジャーに連絡を取り、自宅での受け入れ準備を行う……。まさに、地域包括ケアをフル活用した、小池氏の自宅介護が始まったのだ。