杉原の行動は、しかし訓令違反である。
「もし僕が同じ立場だったら、同じことをするだろうと思います。問題は、何を基準として判断するかということです。僕は差別というのは皮膚感覚的に我慢ができない。だから同じことをしたと思います。もっとも僕の場合は下手にやってすぐ捕まったかもしれませんが」(笑)
杉原ビザは、形式が整っていたため避難民たちの日本通過には支障がなかった。
現地取材は辻井の創作意欲を刺激し、作品は帰国後2カ月で書き上げた。
オペラの終章で、杉原がビザを渡しながら別れ際に言う台詞がある。
「今度は白夜ではなく、“本当の光”を手に入れてくださいね」
6000人と言われる避難民の命に生きる光を与えた杉原だが、戦後その顛末を黙して語ることはなかった。
辻井は、杉原の心中をこう忖度(そんたく)する。
「風向きが変わると人の評価が変わるというのが世の常です。それを感じて味気なくなったのではないでしょうか。自分は少しも変わっていないのだと。杉原は正しいと思ったことは何があってもやるという強い姿勢を貫いた。千畝さんの覚悟に心動かされる人は、このような気持ちを持ち続けてもらえるとありがたいと思っています」
杉原の評価についてはいまだに温度差がある。しかし85年にイスラエル政府によって、より多くのユダヤ人の命を救った功績で「ヤド・バシェム賞」(諸国民の中の正義の人)が贈られた。
杉原が光を与えた命の数も、70年の時を経て膨大なものとなっていることだろう。
(文中敬称略)