母子家庭で進学は考えていなかった

【田原】起業までの道のりも教えてください。溝口さんは3歳のときにご両親が離婚されたとか。

【溝口】母は19のときに私を身ごもり、結婚しました。父は気性が荒くて、働いてもすぐにケンカして辞めてしまう人だったそうです。妹が生まれて、このままでは将来が心配だから離婚したと聞いています。

【田原】じゃあ、お母さんが女手一本で育てたわけだ。

【溝口】母はゴルフ場のキャディなど住み込みの仕事をしながら私たちを育ててくれました。当時は相当な借金があって、夜は夜でまた別の仕事をしていました。寮で一緒に暮らしてはいるのですが、母が起きている休んでいる姿はほとんど見たことがなかった。本当に大変だったと思います。

【田原】学校にはちゃんと行っていたのですか。

【溝口】はい、一応。ただ、あまり真面目ではなかったですね。母や母の兄妹もみな高校中退という家族だったせいか、進学という選択肢は最初から自分の中にありませんでした。勉強はやればできたのかもしれません。でも、そもそも勉強に未来を感じていなかったので。

【田原】高校はどうしたんですか。

【溝口】中学を出たら働くつもりでしたが、母からすすめられて結局は高校に行きました。ただし、学費は自分持ちです。県立高校なので学費はたいした額ではないのですが、当時は引っ越しや土木作業、マクドナルドなど、いろいろなバイトを掛け持ちして稼いでいました。

トレーナー時代

【田原】そのころスポーツクラブでバイトを始めて、ヘルスケアと出合うのですね。

【溝口】はい。トレーナーはけっこう人気の職業で、求人倍率が高いんです。私は体育大学や専門学校を出ているわけではないので、最初は丁稚奉公からのスタート。最低賃金で朝から晩まで先輩にくっついて勉強させてもらいました。

【田原】朝から晩までって、高校は?

【溝口】3年生の2学期あたりからほとんど行っていなかったので(笑)。卒業後も、そのままバイト先のスポーツクラブに就職しました。

【田原】トレーナーって、どういう仕事ですか。

【溝口】ざっくりいうと、お客様の悩みをヒアリングして、それに対するソリューションを提供する仕事です。例えばダイエットしたいとか、健康維持したいというご希望があれば、それに合わせて個々に運動プログラムを作成して指導します。ランニングマシーンでどれくらいの速度で何分走るのかいったところまで、けっこう細かくプランニングします。

【田原】プログラムの作成は、専門知識がなくてもできるんですか。

【溝口】できません。だから最初は先輩にくっついて教わっていました。私は最年少で、何の経験もない真っ白な状態。先輩たちにとっては教え甲斐がある後輩だったようで、ずいぶんかわいがってもらいました。私自身、知識や知恵が足りないことは自覚していたので、何でも吸収してやろうという思いも強かった。手前味噌ですが、おかげで成長は速かったと思います。