2種類のエンジン同時開発は基本構造の共通化
ボルボに転機が訪れたのは2008年9月。リーマンショックによってボルボだけでなく、産業界全体の景気が失速して先行き不透明に陥ったときだ。他の自動車会社と同様、ボルボの業績も低迷しはじめる。2007年には45万8323台を数えた世界総販売台数が2008年には37万4297台と20%近くも落ち込み、翌2009年になるとさらに減少して33万4808台という低い数字を記録した。売上高についても同じ傾向を示している。具体的には、2007年の1216億2000万スエーデンクローナ(SEK)が2008年には約22パーセント減の951億2000万SEK、2009年も957億SEKと低迷。ボルボはもちろん、ジャガー、ランドローバー、アストンマーチン、マツダといったフォードグループ傘下の各社はそれぞれに独自の生き残りを図る道を探りはじめる。(現在の為替レートでは1SEK=14円前後)
ボルボは生き残りをかけ、その戦略の中核に、エンジンの独自開発を据える。それまでは、エンジンや車台などをフォード・グループの企業共通で使用する方針をとっていたため、気がついてみると、年産わずかに40万台前後という小さな規模にもかかわらず、ボルボ車が搭載しているディーゼルエンジンは3種類、ガソリンエンジンに至っては5種類もあった。エンジンの気筒数も直列4、同5、V型6など様々だった。これでは効率の悪い多品種少量生産そのものであり、決して短期間で大幅な業績改善回復ができるとは期待できない。そこでボルボは、2009年初頭、フォードからの自主独立路線の確立をめざして、新たな経営基盤整備に着手するのを機に(2010年8月にジーリーホールディンググループ傘下企業となる)、新しいエンジンの開発で独創的な方針を打ち出す。
それが、「新エンジンは4気筒に特化する。排気量は2L以下に限る」という思い切った方針だった。
排気量は2L以下、変わっても気筒数が4のエンジン以外つくらない。そして、こうしたエンジンだけでは十分な性能が得られない場合には、大きな進展が期待できる電気駆動システムを追加できる構造にしておき将来必要となるかもしれないモデルバリエーションの増加に備える。こうすれば、モデルごとに異なる構造のエンジンを用意する必要がなくなり、効率の向上が図れる。年間40万台前後の規模では、同400万台以上規模の大メーカー並みのバリエーションを展開するのは得策ではない。それでも、ボルボの個性を打ち出せる製品の展開は図れる。
ただし、当時のボルボにとって4気筒エンジンの開発をガソリン仕様だけに絞るのは難しい相談だった。というのも、2006年すでに、欧州におけるディーゼルエンジンを積んだ乗用車の新車登録台数が50パーセントを超えていたからだ。ガソリン仕様よりもディーゼル仕様の乗用車のほうが多いのだ。したがって、独立独歩をめざすと決断した以上、欧州市場で生き残るためには、どうしてもディーゼルエンジンの開発は避けて通れない課題だった。
とはいえ、100パーセント新規のエンジンを2種類同時に開発するには、巨額の資金を投入しなければならない。
そこで、ボルボが生み出した発想が「ディーゼルとガソリン、2種類のエンジンを同時並行的に開発するため、基本構造を共通化する」というものだった。