優勝より、「特別賞」を狙う

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
コミュニケーションプロデューサー/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生がまちづくりを担う「鯖江市役所JK課」など、多様な働き方や組織のあり方を模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施中。著書に『創造的脱力』(光文社新書)がある。
若新ワールド
http://wakashin.com/

社会人になってからも、他人と同じ土俵で戦うための努力はつらいので、人とは違う指標で評価してもらえる場所を探すように工夫していたのだと思います。例えるなら、競合の多い“メジャー競技”をやめて、競技人口の少ない“マイナー競技”で戦うイメージです。もっといえば、自分で勝手に新しい競技をつくって、小さい大会を開催してしまう、というようなものだったかもしれません。

マイナー競技を立ち上げても、世の中にニーズがなかったらどうするのかという不安もあるでしょう。そこは幸いないことに、情報化や価値観の多様化なるものによって、どんなにマニアックな分野やスタイルのものでも一定の市場が存在するようになりました。人とは違う趣向や特技をもった少数派の人も、十分に活躍できる時代です。その点では、すごく恵まれた社会環境だと思います。これが大量生産・大量消費の時代なら、経済は成長していたかもしれませんが、僕のように普遍的な努力が苦手な人は、社会から取り残されていたか、落ちこぼれていたに違いありません。

「努力よりも工夫する人生」を選んだことで、僕はメジャー競技・大会での優勝はあきらめました。だからといって、欲深い僕は、2番目や3番目で我慢するのも嫌なんです。努力がいやなら、死ぬほど工夫して、マニアックだけど“替えのきかない存在”を目指すしかない。

狙うのは、優勝ではなく“特別賞”です。特別賞は、トップではなくても、その人らしく楽しく工夫ができる。もしかしたらその工夫の中から、小さくても、新しいものが生まれるかもしれない。みんなが優勝ではなく、特別賞を目指す。そんな社会もいいなと思います。

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