若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

あいまいな市民感覚と、創造の欲求

僕は公開講座の前半で、「まちづくり」と「都市計画」の違いについて話をしていました。「まちづくり」という言葉はひらがなで表記されるのが一般的ですが、それには意味があるようです。文献を調べていくと、「まちづくり」とは、ある言葉の対立概念として登場したもので、それが「都市計画」だというのです。

「都市計画」とは、綿密な計画のもと、国が官僚主導で都市機能としてのインフラをきっちり整備していくことです。橋をひとつ架けるにしても、特定の誰かの要望だけにこたえるわけにはいかず、市民にとって公平な条件になるよう検討されて粛々と実行されるのが、都市計画です。

ただし、それが一通りできあがって、ハード面での都市機能が整ったからといって、人々の暮らしが完成するわけではありません。地域のにぎわい・活気や人間関係など、ソフト面のさまざまな問題がでてきます。

それらの問題を扱うために必要だとされたのが、「まちづくり」だったのです。「まち」とは、「都市」に対してかなりあいまいな概念で、そこにあつまっている人たちが生活の拠点としている漠然とした共同空間を、あえてひらがなで「まち」と呼んでいます。そしてそこには、国や官僚には把握することが難しい「市民感覚」があり、それを引き出していくことが狙いでした。

その「感覚」は、時代とともに大きく変わってきているようです。

まちに暮らす若者たちの多くは、もはや目新しいサービスやイベントなどを欲しているわけではありません。もちろん、地域社会の問題解決を熱っぽく考えているわけでもありません。なにか小さなことでいいから、自分でつくりだすという「創造の体験」を強く求めているのです。

小さなまち、なにもない地域は、それはそれでチャンスです。「創造できるまち」や「創造してもいいまち」に、若者たちが魅力を感じてこぞって移り住むようになる日がやってくるかもしれません。

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