今回の対談相手は、レオス・キャピタルワークス取締役・最高投資責任者の藤野英人氏。同社が販売する「ひふみ投信」は、リスクが低くリターンが高いファンドに贈られるR&Iファンド大賞を4年連続受賞している。「価値あるものに投資し、未来に発展させていく」ことの意味を考える2人が、「働くこと」の本質について語った。
マイノリティが持つ価値
【若新】今日は藤野さんと、働くことについてお話しできればと思っています。
ちょっと大げさに聞こえると思いますが、僕がNEET株式会社でやろうとしているのは、マイノリティへの投資実験です。社会の枠からはみ出した少数派のニートたちを、元の枠に押し込んで、目先の労働力や社会的資源に還元しようとすることにはあんまり価値がないと思っています。むしろ、彼らがはみ出したマニアックな人生のなかで、その価値をどう高めていけるのかが大事なのではないかと。それは時給いくらで働くことではなく、彼らが社会のマイノリティであるからこその意味をどう深めていくのか。
【藤野】マイノリティが持つ価値ってあると思います。この前、夏の高校野球の埼玉県大会で、代打の選手がバットを振り回したことに対して、高野連が「あれは不適切な行為だ」と注意したことがありました。僕はそれを聞いて、「高野連はイケてないな」と思った。それでフェイスブックでそう書き込んだら、かなり多くの人から反論があったんです。「バットを振り回したら人にぶつかるかもしれない」とか、「そもそも規則に従うことを学ぶのが野球なんだ」とか、「勝つという目的に関係ないことはやるべきではない」とか。「高野連こそが正しい」という意見が多くて、驚きましたね。
【若新】おっしゃるとおりです。こう言っては何ですが、そもそもは野球って「遊び」ですよね。特に帝国時代のヨーロッパでは、襟のついてないユニフォームでプレーするのは、野蛮な人たちの遊びだと考えられていたわけです。ヨーロッパのスポーツも、基本的には生産活動には直結しない、社会にとってはムダな「遊び」ですが。けれども、それが楽しくて、面白くて、僕たちの生活を彩ってくれる。人間の文化は、そんなに直線的なものではありません。ムダで余計なことをしながら、面白くなってきたんだと思うんです。
【藤野】バットを振り回したのも、試合の進行の妨げにならないタイミングでの絶妙な行為だったようですから、あれを「面白い」と思うのか、「無駄だからダメだ」と思うのかは、社会の懐の深さが現れます。彼の行動を否定的に捉える人が多いということは、マイノリティの人たちにとっては生きづらい社会なんじゃないかと思います。
【若新】彼の行為は、野球とか勝負とかルールとか、僕らが普段はめ込まれている枠組みを俯瞰的に考えさせてくれるチャンスだと思います。「そもそも野球って、どういうものだったのか?」と。同じように、労働している人も、たまに自分の「働く」という行為を俯瞰して眺めてみることが大切だと思います。