そんな責任重大な政策の取りまとめ役である農林部会長に、なぜ進次郎氏が就任することになったのか。
党内で政策分野ごとにつくられる部会の会長ポストは、主に当選3~4回の衆院議員が就くことになっている。当選3回の進次郎氏は適齢期ではある。しかし、進次郎氏自身が「雑巾がけ」として希望していたのは、財務金融部会の役員だ。周囲からは国対副委員長を勧める声もあった。父・純一郎氏も若手時代に旧財政部会長をこなして「大蔵族」と呼ばれ、1988年の消費税国会で国対副委員長をやり遂げ、竹下改造内閣で入閣を果たしている。
一方、稲田朋美政調会長は菅義偉官房長官や西川元農水相やJA出身の山田俊男参院議員ら農林族の重鎮たちの了解を得て、進次郎氏の農林部会長起用を打ち出した。ある人物はその人事案をマスコミに流し、「観測気球」を揚げた。永田町の一部では、改造前に公然と安倍政権を批判した進次郎氏に対する「報復人事」とも囁かれたが、全国紙やテレビは歓迎した。進次郎氏の抜擢は、農家対策への自民党の本気度を示すのに一役買ったのだ。
一見農政に疎い進次郎氏であるが、長く彼の言動を追ってきた筆者は「農林部会長」が適任だと見ている。その理由の1つは、進次郎氏が地元に多くの農家を抱えていることだ。横須賀市、三浦市はキャベツや大根の一大生産地である。進次郎氏は民主党政権時代から当時の党方針に反する形で「TPP賛成」を公言しながら、地元農協幹部たちから一定の理解を得てきた。自らのライフワークである被災地訪問にキャベツを大量に積んだ農協の大型トラックを同行させて被災者たちに配るなど、積極的に連携もしてきた。
2つ目の理由は、TPP対策が進次郎氏の従来のキャリアの延長線上にあることだ。彼は、政務官として復興や地方創生に携わる中で農業再生の現場を見続けてきた。前出の合同会議後、「復興、地方創生、農林部会長、共通するのは1次産業の発展なくして日本全体の活性化はない」と語っている。
あまり知られていないが、政務官として甘利明大臣の下でTPP担当を兼務したこともある。たびたび衆参の農水委員会に立ち、反対派の質問に対して政府答弁をした経験も豊富なのだ。
3つ目の理由は、そもそも「攻めの農業」というスローガンを多用し、農産物輸出の重要性を強調したのは総理時代の純一郎氏である。自身のメルマガで「北京で青森のリンゴが1つ2000円で売られている」と気炎を上げ、2005年には輸出額倍増政策を打ち出したのだ。その姿を後継者の進次郎氏が知らないわけがない。