会議が終わって、土井さんは、「ああ、面白かった、ありがとう」と席を立たれた。ところが、そのときに、ずっと熱心に書かれていたメモは、テーブルの上に置きっぱなしだったのである。
後を振り返りもせずに、ゆったりと歩いていく土井さん。その様子を見ていて、ああ、聞きながら書くことで、もうメモは役割を果たしたんだ、必要がなくなったんだということが理解された。
みなさんは、メモを取った場合、後で見返すだろうか? 案外、二度と見ないことも多いのではないだろうか?
脳の働きとしては、話を聞きながら自分なりに要点をまとめて書くことで、さらに情報の記憶が強化される。メモを取ることで、膨大な情報から、何を取捨選択すべきかという判断力も養われる。
このように考えると、メモの効用のかなりの部分は、「書く」という行為の中にあることがわかる。一度も見返さないメモを書いたとしても、それはそれで役に立っている。
もちろん、本当に必要なことをメモすることもある。メモが、貴重な記録になる場合もあるだろう。その一方で、断捨離も時には必要だ。
どうせ見ないと思っても、つい、何かの役に立つかと思って保存するが、結局一度も見ない。そんな普通のやり方に比べて、土井さんの行動は潔く、カッコ良かった。
用と不用の境目を縦横無尽に見分け、越境し、場合によってはあっさりと切り捨てられる人のことを、「達人」と言う。あのときの土井さんは達人だった。