クレイジーな発想を具現化するヒント

以前、この連載でも書きましたが、シアトルで初めて起業し、わずか3年後にビジネスモデルを変える局面を迎えることになりました。起業家として「クレイジーな選択」は数多くしてきましたが、大きな転機となったのはその時が初めてだったと思います。試作品の試験を請け負う会社がものづくりに乗り出すような話でしたから、社員にとってはとんでもないことだったでしょう。しかし、ほかの誰もできない特許技術を持って2年、3年やってきた仕事が突然通用しなくなることは、日進月歩あるいは秒進分歩のイノベーションの世界では日常茶飯事です。

大企業の一部門として買収されたわけでも、合併したわけでもなく、細々とやってきた小さな会社が今までの事業を捨てて、やれるかどうかもわからない事業に切り替える選択をしたら、多くの社員が去っていくのでは、と私も腹をくくりました。たとえ、私についてきたいと心では思っていても、社員にも家族がいて、生活を守らないといけないので、新しいことをやることへの不安から辞めていくのは仕方のないことです。

それでも私の目標は世界を変えることであり、手段は選びませんから、方針転換を決行しました。そして、全員が辞めてもおかしくなかったのに、半分もの人が残ってくれたのは本当にありがたいと思いました。もちろん私は自分だけになっても一から人を採用し直してやり通す覚悟はできていました。そもそも最初はたった1人で始めたのですから、つらいことではありますが、同じことを繰り返すまでです。

ここに「クレイジーな選択」を可能にするヒントがあると思います。いくら面白い発想であろうと、それを具現化するためには仲間が必要です。単なるクレイジーな話を持ちかけたところで仲間は集まりません。やはり全員ではなくとも、同じように クレイジーな人の少なくとも一部を納得させるだけのプランと共感を得られるビジョンが必要です。そのビジョンが大きければ大きいほど、達成した時の達成感も大きいのです。

我々の場合は失明疾患を治療することによって世界を変えるというビジョンに賛同してもらい、人生をかけてやる価値があると判断されてこそ、優秀で多様な仲間が集まってくるのだと思います。

朝令暮改にもやり方はいろいろありますが、起業した時のビジネスモデルを捨てるという大手術を経たことは、自分自身の目標へのコミットを深めるだけではなく、方向性が明確になり、よりインパクトの大きなものにすることにもつながりました。

「クレイジーな選択」とは、前に進む以外に道はない、時にはその道すらもない世界を切り開いていくことであり、そしてそんな経験をわかちあえる仲間を巻き込んでいくことなのだと思います。

窪田 良(くぼた・りょう)●1966年生まれ。アキュセラ創業者であり、会長、社長兼CEO。医師・医学博士。慶應義塾大学医学部卒業後、同大学院に進学。緑内障の原因遺伝子「ミオシリン」を発見する。その後、臨床医として虎の門病院や慶應病院に勤務ののち、2000年より米国ワシントン大学眼科シニアフェローおよび助教授として勤務。02年にシアトルの自宅地下室にてアキュセラを創業。現在は、慶應義塾大学医学部客員教授や全米アジア研究所 (The National Bureau of Asian Research) の理事、G1ベンチャーのアドバイザリー・ボードなども兼務する。著書として『極めるひとほどあきっぽい』『「なりたい人」になるための41のやり方』がある。Twitterのアカウントは @ryokubota 。 >>アキュセラ・インク http://acucela.jp

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