公務を選ぶか恋愛を選ぶか

高尾山さる園で園長を務めた篠裕之さんには、忘れ難い光景がる。

まだ、放し飼いをしていた時代のこと、20年もの長きにわたってリーダーの座を守り続けたベンという不世出のオスザルがいた。ある日、酒気を帯びた客がさる園を訪れて、足元にいた子ザルを蹴飛ばした。するとベンが間髪を入れずに大声で吠え、その瞬間に何頭ものサルがその酔客を取り囲んで一斉に威嚇行動を始めたという。篠さんが言う。

「ニホンザルは乱婚なので父親というポジションがなく、群れ全体で子供を育てるという意識が非常に強い。群れの子供を守ることはオスの重要な役割であり、そうした“公務”を怠るオスは上位にいけません」

その例がベンの弟、ベソだ。ベンがリーダーだった当時、ベソはサブリーダー(第2位)という枢要な地位を占めており、「パトロール隊長」の異名を取るほど公務に精を出す働き者だった。ところが、篠さんの言葉を借りれば、「たちの悪いメスに引っかかって」転落の憂き目に遭う。

「発情期に、あるメスが求愛の声を出し続けてベソをパトロールに行かせようとしなかったのです。その結果、ベソは約2カ月間、公務を完全にさぼってしまった。群れの中での信用は完全に失墜し、15位まで順位を落としてしまいました。順位を上げるには時間がかかりますが、落ちるのは一瞬です」

メスのリーダーの場合も、公務の遂行は重要な意味を持つ。高尾山さる園のリーダーは現在までに5代を数え、メスのリーダーは3代目のベターのみだが、公務という面ではいささか難点があったと、篠さんは言う。

「ニホンザルは母系家族なので、メスがリーダーになるとどうしても身内を贔屓してしまいがち。わが子の喧嘩は体を張って仲裁しますが、そうでない場合は他のサルに行かせたりするため、群れから信頼を得にくい。リーダーとしての優劣は、私的な利害を離れて群れ全体のことを考えられるかどうかにかかっているのです」

加えて、発情期のメスは意中のオス以外への関心を失ってしまうので公務どころではないし、子育て中のメスは常時子ザルを抱き抱えているため喧嘩の仲裁どころではない。総じてメスのリーダーの在位期間が短いのは、とどのつまり、メスが子を産み育てる性だからにほかならない。一方オスは、父親というポジションがないためにわが子の贔屓のしようがなく、公平に目を配ることが可能になる。

しかし篠さんは、こうしたオスとメスの差異を認めつつも、リーダーの資質として最も重要なのは「本質を見抜く洞察力」であり、その能力の有無は、性差ではなく個体差によるのではないかと言う。

「たとえば喧嘩の仲裁に入った場合でも、優れたリーダーはどこを押さえればその喧嘩を止められるのか、トラブルの根本原因を瞬時に見抜く能力が高いですね」

ちなみに高尾山さる園のサルは、飼育員に序列をつけているという。本質を見抜く能力の低い人間は、サルにも尊敬されないそうだ。

(坂本道浩=撮影)
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