4.金儲け至上主義が心底いやになったら
出光佐三は旧制神戸高商(現神戸大学)の学生時代、日露戦争で儲けた人たちが、金にまかせてひどいことをしたり、買い占めや売り惜しみでさらに金を増やそうとしたりするのを目にして、ひどく憤りを感じた。以来、佐三は「人は黄金の奴隷になってはいけない」という考えを持ち、生涯、この言葉をよく使っている。
金はあくまで人が使うものであり、人が金に使われるようなことがあってはならない。その一方で、お金の大切さを理解し、その価値も尊重しているように、お金に対する考えにもバランスが大切なのだ。だから、佐三は「金を軽んじても重んじてもいけない」ともいっている。
たしかに資本主義だから金は儲ければ儲けるほどいいという金儲け至上主義の考えもある。しかし、これは間違いだと、佐三もきっというと思う。とくに儲ける動機が野心の場合、短期的にはうまくいっても、途中で必ず壁にぶち当たるからだ。「黄金の奴隷」になっている自分に気がつき、働き方を改められた人だけが、最終的に成功者となれる。
一 黄金の奴隷になるな
二 学問の奴隷になるな
三 法律、組織、機構の奴隷になるな
四 権力の奴隷になるな
五 数、理論の奴隷になるな
六 主義の奴隷になるな
七 モラルの奴隷になるな
では、なぜ野心だけでは成功できないのだろうか。野心というものは、自分の欲から生まれる。そして、それはどんなに隠しても、周囲には伝わってしまう。そういう人の周りには、一時的には人が集まるが、いざ窮地に陥ると、潮が引くように一気に人が離れていく。私利私欲で金儲けをしている人を、人は進んで助けてあげようとは思わないのである。そうならないためには、野心をどこかで志と入れ替える必要がある。
そうかといって、志ばかりを高らかに謳い、利益を求めることを二の次にしたら、ビジネスはうまくいかない。たしかに佐三は「金儲けを目的としない商売」を掲げていた。しかし、21世紀の日本で、そういう社員を理解してくれる会社があるとは思えないのも現実だろう。
それに、孔子も「君子財を愛す」と金儲けは認めているが、すぐそのあとに「之を取るに道あり」と続く。要するに、正しいビジネスさえしていれば、どんなに儲けても後ろめたい気持ちなど持たなくてもいいのだ。
それから、儲けた金で陰徳を積むと、運がよくなるという教えも『易経』にあり、「積善の家には必ず余慶(よけい)あり。積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」と書かれている。善行を積む人の家には、子孫にまで恵みがあり、反対によくないことを積み重ねると、子孫にまで災いが及ぶというわけだ。
要するに、まともな動機とやり方できちんと儲けて、その金を私利私欲ではなく、他人や社会のために使えばいい。そうすれば、それは巡り巡って最後には自分に返ってくる。そういう金の好循環に身を置く人は、佐三が指摘するように、黄金の奴隷とは無縁でいられるのである。
※言葉の出典は『出光佐三の日本人にかえれ』(北尾吉孝著)、『出光佐三語録』(木本正次著)
SBI-HD執行役員社長
1951年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、野村証券に入社。99年ソフトバンク・インベストメント(現・SBI-HD)を設立し、現職。幼少時代から中国古典に親しみ、数々の古典を読破した経験を持つ。