ソニー時代の発明に井深、盛田両氏が注目
当時、ブラウン管の検査部門で働いていた市ヶ谷社長は発明大会にブラウン管技術を使った笛を出品。それが井深氏の目に留まったのだ。すると、すぐさま新製品の開発部門に異動。半導体を使って音を合成する楽器の開発に携わった。そしてつくったのが電子ピアノだった。これには盛田昭夫会長(当時)が興味を示し、自宅に招待してくれたという。
「仲間3人と一緒でしたが、開発についてのいろいろな話をし、発売前のウォークマンを見せてくれたことが印象に残っています」と当時を振り返る。
しかし、1991年、市ヶ谷社長は自分で発明したいものを売ってみたいとソニーを退社。新会社を立ち上げて、ブラウン管の画質を検査する装置の製造・販売を開始した。ところが数年後、東南アジアに売り込みに行った時、市ヶ谷社長は危機感を抱いた。
「クーラーを使っていない発展途上国の人たちが将来、日本人のようにクーラーを使うようになったら、エネルギー危機が起こる」――そう思った市ヶ谷社長は検査装置を販売した利益で省エネルギーな冷却装置をつくろうと決心。空調服の開発を始めた。
1年後の1999年、最初の空調服が完成した。それは水タンクを装備した水冷式。ポンプでタンクの水を吸い上げて服の裏側に吊した冷却用の布を濡らし、空気を送って水を気化させることで涼しくするものだ。しかし、これはタンクが邪魔になったり、水漏れがするなど欠点が多かった。そこで、ファンを使うことにした。そして6年後の2004年、試行錯誤の末にようやく完成した。