部下への指導は「ごみ箱」に座って

最終決定をする臨時の経営会議が予定されていた日、阪神・淡路大震災が起きた。大阪府門真市の本社も被害を受け、会議の場所が変わる。社長らに事前説明していたプロジェクトリーダーが参加し、自社開発のフォーマットを提案する。競争相手の方式に傾いていた技術部門の総帥は、自宅が被災し、いなかった。

会議は提案を了承したが、社長が「欠席裁判」を避け、翌日、東京で再び会議を開き、全員がそろったところで決めた。その後、日欧のライバルも同調、松下はついに特許の主導権を握る。DVDを「みる機器」が生まれ、冒頭の暗号処理を経て「読み書きできる機器」へと至る。

よく覚えていることがある。オーサリングなどの開発過程で、部下たちの席の近くにあった円筒形のごみ箱の上に座り、議論を重ねた。仕事の進め方として、頭の中で全体像を描き、課題を仕分け、どのようになっていけばいいかを考える。そして、各自に目前の課題を与え、先々に必要となりそうな技術を勉強しておくようにも指示する。全員、自分の目標が明確になるだけでなく、仲間が取り組む課題もみえて、全体で目指しているゴールをつかみやすい。

ごみ箱に座るのは、課題の進行ぶりを把握し、最初に描いた絵でいけるかどうか、確認するためだ。社長になって、本社機能を受け持つ人間を大幅に減らし、150人にまで絞り込んで、全員を一つの部屋に入れた。一人で把握するにはちょっと多いが、互いに役割がみえ、会議も一緒にできる。多忙で隣に座って話すことは無理でも、気になることがあれば、問いかける。各自の力と意欲をぎりぎりまで高めさせ、ときに背中を押す津賀流は、健在だ。

「不憤不啓、不不発」(憤せざれば啓せず、ひせざれば発せず)――意欲をもって学び、もう一歩のところでもがきながら、なお答えを見出そうとする人間でなければ、示唆は与えない。言いたいことはあるのに、うまく言えず、もどかしい思いをしている人間でなければ、導いてあげない、との意味だ。『論語』にある言葉で、「啓発」という熟語を生んだ。津賀流はもう少しソフトだが、その意図は重なる。