ハーバード・ビジネス・スクールでどこか浮いていた男
本書の著者、フィリップ・デルヴス・ブロートンは、僕がハーバード・ビジネス・スクール(HBS)時代に出会った友人である。もともと新聞記者で、HBS在学中はフィナンシャルタイムズ紙にHBSでの学生生活について書いた記事を寄稿していた。それをたまたま目にした僕は、彼のちょっと斜に構えたものの見方が面白いと思い、面識はなかったけれども感想をメールで伝えた。その後、選択科目のインターナショナルファイナンスの授業でいっしょになり、家族ぐるみのつきあいが始まった。フィリップはどちらかというと沈思黙考型の人物なのだが、ものを書くときにはとたんに饒舌になる。オックスフォード大学でギリシャ文学を専攻したフィリップは、30歳そこそこでイギリスの有力紙デイリーテレグラフのパリ支局長を務めた筋金入りのインテリだ。僕のいちばん身近にいる博覧強記の知識人といえばライフネット生命会長の出口治明だが、ふだんは物静かなフィリップが、古典と歴史が大好きな出口とは話が尽きない様子だった。
フィリップにはほかのMBA生にはない落ち着きがあり、周囲の喧騒を静かに観察しているようなところがあった。卒業後には留学記『ハーバード ビジネススクール──不幸な人間の製造工場』を出版するのだが、そこには躍動感あふれる入学初日から、その後2年にわたる濃厚な日々が鮮明に描かれている。その筆力は、本書でも存分に生かされていて、国や時代をやすやすと飛び越えて、伝説の営業マンたちの醸し出す独特の雰囲気を存分に伝えている。心底面白がって書いている様子が伝わってくる一方で、その視点にはどこかシニカルなところがあるのもフィリップ流だ。1度、なぜ君はそんなに斜に構えてものごとを見るのかと聞いてみたことがある。彼は、理由は3つあると言った。「まず、僕は英国人だ。ジャーナリストでもある。そのうえ親父は聖職者なんだ」。最初の2つはわかるが、なぜ聖職者の息子だとシニカルになるのかと聞くと、「信者の前では朗々と神の教えを説きながら、家に帰ると愚痴を言いながら寝転がってサッカーを見ているんだよ。子供ながらに人間の二面性を見たね」という答えだった。
彼がHBSに入学したのは、そのシニカルな視点を矯正する意味もあったのだと思う。前著には「私は体験記を書くためにハーバードビジネススクールに行ったわけではない。(中略)書くことから足を洗い、自分を取り巻く世界を記事のネタとして見ることをやめるためにそこに通ったのだ」と書いている。実際に、マッキンゼーやグーグルを受けるなど、普通のMBA的な視点で就活をしていたころもあった。しかし卒業するまでにはやはりビジネススクール教育への疑問というものがどんどん膨らんでいったのだと思う。それを一言で表すと「ここではビジネスでいちばん大事なことを教えていない」ということだったのではないだろうか。
僕はそこにすごく共感する。営業にかぎらず、ビジネスというものは学校で教えられるものではない。タイガー・ウッズに教室で何時間ゴルフのレクチャーをしてもらってもゴルフができるようにはならないのと同じだ。コースに出て、クラブを振って、球を打って、何度も失敗して、その繰り返しのなかでわかってくるものだ。僕はHBSでたくさんの刺激をうけて多くを学んだが、MBAをとったからビジネスができるようになるとは思っていない。だいたい、世の中で活躍している多くのビジネスマンはビジネススクールになど行っていないのだ。
※本稿は『なぜハーバード・ビジネス・スクールでは営業を教えないのか』(フィリップ・デルヴス・ブロートン著、関美和訳)の解説を抜粋したものです。