帰国後、メニューを刷新してイタリア料理店として店を再出発させるが、当時の日本ではイタリア料理はまだ知名度が低く、客足は伸び悩んだ。そこで正垣氏は「全品7割引き」という大胆な低価格路線を打ち出す。「スパゲティをラーメンと同じ価格で提供する」というサイゼリヤの基本理念は、このとき誕生した。
「安くて、とってもおいしくて。この商店街のずっと遠くまでクルマの列ができていました。なかなかお店に入れなかったのを覚えています」(川上氏)
支店を出せばまた大行列。これを皮切りにチェーン展開を始めたサイゼリヤは順調に事業を拡大し、94年には全国で100店舗を出店。2000年には東証一部に上場して、チェーンストアとして確固たる基盤を築き上げた。
こうして「外食産業独り勝ち」とまでいわれるほど業績を伸ばしたサイゼリヤに窮地が訪れたのは、目標だった海外進出を果たした翌年、08年のことだ。
同年10月19日、サイゼリヤ社内の自主検査により、中国メーカーに生産を委託していた冷凍ピザ生地の一部からメラミン(有機化合物の1種)が検出されたと発表した。健康への影響はない微量なものだったが、正垣は即刻ピザの販売を中止、保健所に通達して全店に謝罪の張り紙を掲示することを指示する。そして3日後の21日には、自ら記者会見を開いて原因と対策を説明するという、トップダウン式の迅速な対応を行った。
「『この程度の管理ができないような会社なら潰れてもいい。うちより立派な会社はたくさんあるのだから』と取締役たちには話しました。ありのまま自分たちの非を認めて改善すること、ご迷惑をおかけしたお客様に代金を全額返金すること、私が考えたのはその2点だけです。公明正大にやれば絶対に信頼は回復できる。不祥事のときこそ、自分たちにとって不都合なことでも一切誤魔化してはいけないんです」
その結果、最終的な返金総額は予想の8000万円を大幅に下回る約1000万円で落ち着き、翌月5日には生地を国内産に変更したピザの販売も再開された。