商社から転身し、「都落ち」と揶揄された

松山は慶應義塾大学経済学部卒業後、博報堂に入社、4年後に三菱商事に転職し、世間一般でいうエリートコースを歩んでいた。

「三菱商事に転職して4年間いたのですが、とにかく向いていなかった。成果を求められるのに、売上が上げられない。活躍できず壁にぶつかっていた頃に、父親から『廃業する』という電話があって、実家に戻ることにしました」