米軍に占領され、復興の出発地となった街

海勢頭さんはこう話す。

「慰霊のための歌にはしない。みんなで平和を誓う歌にしたい。誓いを立てないと亡くなった人に対する慰霊にはならない。二度といくさのない世にするために、誓いを立てることが祈りなんだよ。子どもたちが毎年つらい慰霊祭をやっているけれども、それを嫌がらず、使命だと思えるような、そういう歌にしたつもりです」

父親を戦争で亡くした海勢頭さんは、幼いころから石川に住む叔父の家によく遊びに行ったという。高校も石川市に隣接する具志川市(現・うるま市)の前原高校に入学した。そのため、石川が発展していく様子をよく知っていた。事故が起きたのは高校1年生の時だ。数日後に現場を見て、強いショックを受けた。