年齢は行動を制限しない

トライアルバイクで転倒して足を折ったことがある。14週間入院して、全身にチューブが差し込まれたスパゲティ状態にもなったが、それはそれで新鮮な体験だった。おかげでお腹の上でパソコンを打つ技も覚えた。

齢で自分の行動を制限する必要はない。上には上がいて、カナダでは70歳を過ぎてスノーモービルを乗り回していても誰も驚かないし、アメリカに行けば80歳でダイビングを楽しんでいる人はざらにいる。

いつか怖気づいて、気が萎えるときがやってくるのだろう。怖気づいたときが、きっと潮時なのだと思う。

高校一年から始めたクラリネットも続けている。といっても一日4時間も練習していた学生時代のようにはいかない。たまに身内相手に「コンサートをやる」とアナウンスして、引くに引けない状況に追い込んで練習をする。すると全盛期の9割方くらいの腕は取り戻せる。

90過ぎて指揮棒を振っている人もいるぐらいだから、多分、クラリネットは死ぬまでできるだろう。「指が動かなくなる」という感覚は私にはまだわからない。

スポーツも音楽も私の人生においては無限に流れる連続量として存在している。止める理由がなければ、死ぬまで続けるだろう。

「大前さんは睡眠時間が4時間、5時間で、いつ休んでいるんですか?」

よく聞かれることだが、死んでからいくらでも休める。痛みも苦しみもなく、天使の歌声に満たされた天国は、さぞかし退屈な場所に違いない。

天国に行けるかどうかは別にして、この世にいる間は休もうなんて思ったことがない。週末をゴロ寝で過ごしたこともない。公的な仕事を引き受けたり、人に雇われて、自分の時間を無駄に費やした覚えもない。

これからも今までと同じペースでやりたいことをやるだけ、である。

(次回は「これから私は何をするか-2-」。6月24日更新予定)

(小川 剛=インタビュー・構成)