関西商人の住友、戦後は京都大・大阪大卒の採用を増やす
住友でも現在(1999年)の状況について附言しておこう。
住友グループ企業というと、一般的には社長会「白水会(はくすいかい)」加盟メンバーを指すが、ここでも戦前に連系会社でなかった企業、戦後発祥の企業は除いた。
東京大学卒が戦前の3割強(30.2%)から2割半強(25.3%)に減少しているが、東京大学以外の旧帝大卒が3倍近くに激増している(13.3%→39.0%)。特に京都大学(10.3%→31.1%)・大阪大学卒(0%→9.6%)の増加が著しい。地元関西の京都大学・大阪大学があるのだから、あえて東京大学卒にこだわる必要はなかろうという、関西商人のしたたかな打算が透けて見える。
かくして東京大学以下の旧帝大卒が占める比率は、半数以下(43.5%)から6割半弱(64.2%)まで激増した。
一方、東京高商卒は17.2%から5.8%に激減。関西を基盤とする神戸大学卒(旧神戸高商卒)ですら減少している(7.9%→4.7%)。 旧帝大卒の台頭に、旧高商という看板では立ち向かえなかったということか。
1960年代には資産比較でも住友が三井をしのぐ
三井・三菱・住友財閥の資産比較は
7対5対2
といわれ、住友と三井・三菱の差は歴然であった。
それが1945年頃には国内会社の払込資本金額の比で
10対9対6
くらいに差が縮まり、さらに1960年代には
6対10対8
くらいになり、ついには三井を凌いだ。当時の三菱商事社長・藤野忠次郎は、住友に学ぶことは多々あるが、三井に学ぶことは何もないと喝破したといわれる。
住友の名声は関東にも轟き、戦前にほぼいなかった慶応義塾卒(0.3%)が1割強(10.2%)に激増。早稲田大学卒も増加している(0.6%→4.7%)。住友財閥は早慶以外の私大卒(主に関西系)を結構採用していたが(5.7%)、早稲田・慶応卒の台頭に従って減少した(3.5%)。
高卒以下は少ない(2人、0.6%)、中卒以下・不明はいない。たまたま1999年のデータでは高卒の住友銀行役員はいないが、かつては商業高校卒の副頭取が存在した。
住友銀行の営業攻勢の激しさは有名で、その代わり、成績がよければ高い学歴がなくても役員になれた。これは戦前の支店急増で高卒以下でも支店長になれた人事構造が残っているからではないか。
一方、東京三菱銀行はいくら営業成績をあげても人事に影響しない超学歴会社だったため、バブル期にさえ踊らず、バブルの傷が浅かったと噂されている。