旧石器時代という大きな謎
【星野】そもそも、日本列島に最初のホモ・サピエンスが現れたのは約4万年前といわれます。そこから縄文時代が始まる1万6000年前までの間、旧石器時代については分からないことが多いとか。
【篠田】一番の謎といっていいでしょう。人骨が極端に少なく、生活ぶりや人口動態を復元する手がかりがほとんどありません。旧石器時代は2万年以上も続いているはずですが、われわれは断片的な石器遺跡から推測するしかない。
もし今後、旧石器時代の人骨がまとまって見つかり、DNA解析が行えるようになったら、日本人の起源をめぐる議論は大きく塗り替わる可能性があります。これは列島だけでなく、東アジアや東南アジア全体の人類拡散とも深く関わりますから、非常にエキサイティングなテーマですね。
【星野】先生の著書では、日本列島に人々が来たルートが複数あると指摘されています。北方から、南方から、そして大陸側からと。
【篠田】日本列島はユーラシア大陸の東端に細長く連なり、氷河期には海面が低くなっていたこともあって、さまざまなルートで人が入ってきたと考えられます。
沖縄や奄美など南西諸島には南方系の集団が、北海道にはオホーツク文化など北方系の流れが、そして九州や本州には朝鮮半島経由のルートがあった。これらが何度も波状的に流入・混血を繰り返した結果が、現在の日本列島に住む人々だと思われます。
日本人の起源は「縄文+弥生」ではない
【星野】つまり、最初から一方向で来たわけではなく、複数方向から人が入った。
【篠田】そのうえ縄文後期~弥生~古墳と、文化的にも断続的に大陸との交流があったはずです。そう考えると、日本人の起源は単純な「縄文+弥生」の二重構造で片づけられない複雑さをもっています。
【星野】教科書でも習う「二重構造モデル」(※)は、やはり通用しなくなってきているのでしょうか。
※ 東南アジア系の縄文人に北方アジア系の渡来人が混血し日本人が形成されたとする仮説。東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター(日文研)名誉教授の埴原和郎(1927~2004年)が発表。
【篠田】大枠では有効ですが、実はずっと前から「沖縄と北海道はどう説明する?」という問題は指摘されてきました。
沖縄やアイヌに高い縄文DNAが残っているのは、弥生的な混血が遅れた、あるいは局所的に進まなかったからですが、同時に南方・北方の要素も混在している。
さらに、古墳時代や中世以降にも渡来や移動があった可能性を考えると、「縄文対弥生」だけでは収まりきれない歴史が垣間見えてくるわけです。今後、古代DNA研究が進めば、「どの時期にどの地域から来たDNAが、どこに残ったのか」まで判明していくかもしれません。