迷うことが多い。この世は生きにくいとつくづく思う

「ヤコブの手紙」は新約聖書に収められた15通の手紙の1つ。ヤコブ(バルバロ訳ではヤコボ)はエルサレムの初代司教で、西暦50年頃に主にキリスト教に改宗したユダヤ人に向けてこの手紙を書いたとされている。

「迷う者にはいつも2つの心がある」とヤコブが戒めているように、どっちつかずの「2つの心」というのは聖書の中ではいつも否定されている。イエスか、ノーか、どちらかにせよ、と迫ってくる。

たとえば新約聖書の「ヨハネの黙示録」にも、「あなたは冷たくもなく熱くもないが、私はむしろあなたが冷たいかそれとも熱くあることを望む」(第3章)とある。熱くもなく、冷たくもなく、「生温い」のは絶対によくないというのだ。

欧米では酒を飲みながらでも互いの主張をぶつけて、反対意見も言い合う。それで喧嘩になることはない。ところが日本人はその場その場の状況や、周囲の顔色を見て自分の態度を決める場合が多い。空気を大事にするといえば聞こえはいいが、要はどっちつかずなのである。互いの顔色を見ながら話すから、そつのない同調意見ばかりで議論が進む。

聖書文化で育った欧米人には、旗幟不鮮明な日本人のそうした態度は気持ちが悪い。

「迷う人はいずれ落ちてしまう」(旧約聖書 格言の書 28章)という言葉もある。

細い道でもまっすぐに歩けば、目的地に達することができる。あれやこれやと手をつけても全うしなければ、何事も成就できないし、目的地にたどりつけない。生き方も同じだ。苦しくても、困難があっても、逃げずに貫けば、大きな報酬と満足が得られる。

聖書の言葉

迷う者は、あたかも波のようだ。
吹きくる風に翻弄され、
そのつど巻き上げられる
海の波にも似ている。
そんな者は神から
何かをもらえるのではないかと
期待するな。なぜならば、
迷う者にはいつも
2つの心があるからだ。
そしてまた彼の生活は
節操に欠けたものだからだ。

ヤコボの手紙 第1章

※フェデリコ・バルバロ訳『聖書』に準拠

作家 白取春彦
青森県青森市生まれ。ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を学ぶ。哲学と宗教に関する解説書の明快さには定評がある。著書に『超訳聖書の言葉』『超訳 ニーチェの言葉』『この一冊で「聖書」がわかる!』などがある。
(構成=小川 剛 撮影=平地 勲、小原孝博)
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