東日本大震災から14年が経つ今年も、被災地の現在は山のように報道された。ところが、津波のことは報道されても、原発事故については、まるでなかったかのように報道されていない。福島の子どもにとって原発事故はどのようなものだったのか。ノンフィクション作家の黒川祥子さんが『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』の著者わかなさんに聞いた――。(前編)

「原子力ムラ」に都合よく使われた福島県伊達市民

福島第一原発事故後、国の除染基準を無視して、市内の8割の地域を「必要がない」という理由で除染を行わなかった、この国で唯一の自治体がある。それが私の故郷である、福島県伊達市だ。

福島市と飯館村に隣接し、中通りの北端に位置する、この伊達市こそ、原発推進派に都合よく使われ、重宝された町だった。拙著『心の除染 原発推進派の実験都市・福島県伊達市』(集英社文庫)は、子どもを守りたいという親の痛切な思いが残酷に打ち砕かれ、一方、水面下で住民の心をないがしろにした陰謀が進行していたことをつぶさに追った記録である。

昨年、北海道に住む女性から、この本を読んだとメッセージが届いた。福島第一原発事故を15歳で、伊達市において経験した、今年30歳になる「わかなさん」からだった。わかなさんは2021年、『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』(ミツイパブリッシング)という本で、15歳の少女が経験した原発事故による苦しみを切々と綴っていた。15歳から見た、福島第一原発事故とは何だったのか。それは、子どもを守りたいという親たちの声に耳を傾けてきた私には、抜け落ちていた視点だった。わかなさんの声を直接聞きたいと、強く思った。

青空の背景に立っている制服の女の子
写真=iStock.com/hanapon1002
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2011年3月11日、福島県内ではこの日、中学校の卒業式が行われた。わかなさんも伊達市内の中学校で、卒業生として巣立ちのときを迎えた一人だった。

「卒業式を終え、自宅でくつろいでいたとき、ぐらっと激震がやってきました。もう、死ぬかと思うほど」

原発事故を知ったのは、ライフラインが途絶えた家での唯一の情報源、手回しラジオからだった。

「他に新聞の号外でも見た記憶があります。建屋が吹き飛んだ写真が、大きく載っていて。母が事故のニュースを聞いたとき、『このままだと、チェルノブイリみたいになる』って言っていました。私はその言葉の意味がわからなくて、『ちぇるのぶいり』って、頭の中でひらがなで出てきました。『昔、ソ連で大きな原発事故があって、子どもたちがすごく被害を受けて大変だったんだ』って、母が教えてくれました」