「俺ちょっと死んでくる」

翌日、入院に必要なものを取りに一度自宅に帰り、再び病院に戻った。

「何とか平静を取り戻した私は、『生きていれば何とでもなる。障害だって克服して、また一緒に生活できる。諦めるのはまだ早いだろ!』と自分を鼓舞し、目の前の現実を受け入れるように努めました」

医師から、

「壊れた脳細胞は戻らないですが、それを補うように別の神経が発達するので、脳には刺激を与えたほうがいいです」

と聞いてからは、ひたすら妻に話しかけたり、本を読み聞かせたり、音楽を聴かせたりし続けた。そして手術から3日後のこと。一度自宅に帰った設楽さんに、当時高3だった息子はこう言って外出した。

「俺ちょっと死んでくる」

設楽さんは息子が何を言っているのか理解できなかったが、すぐに妻の病院に戻るため、荷物をまとめて向かった。息子は手術から4日たっても病院にも表れず、自宅にも戻っていなかった。

「その時の私は、意識不明の妻のことしか頭にありませんでした。正直、高校卒業も近い息子のことまで気にかける余裕はなかったのです」

手術から5日後。息子の彼女から連絡があり、設楽さんは息子がしようとしていることをようやく理解する。息子はSNSで、一緒に自殺しようとしてくれる人を募集していたのだ。

ソファにもたれかかり、スマホを使用するティーンエイジャーの手元
写真=iStock.com/miniseries
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設楽さんは生まれて初めて全身の血が逆流するような感覚を覚えながら、警察に捜索願を出した。

まもなく自宅に警察官が3人来て、状況を聞かれ、家の中を調べられた。設楽さんは妻が倒れたばかりであることを話した。

「本当に大変でしたね。我々も息子さんを探します。ただ、お父さんが倒れたら奥さんが大変ですから、しっかりしてください」

警官たちは帰っていった。設楽さんはリビングのソファに沈み込んだ。

「息子はなぜ連絡もよこさないんだ?」「この寒い中、お金もないのに一体どうやって過ごしてるんだ?」「妻の意識が戻ったら何と報告しようか」などと1人問答を繰り返し、病院に戻ったが、妻は意識不明のまま。

「この頃が、私にとっては死ぬよりもつらく苦しい時でした……」