「妻より1日でも長く生きる」
障害者手帳1級である妻が入所した施設は、障害者支援施設だった。そのため入所期間は通常1年間。しかしちょうど制度の変更と重なったため、半年延長することが可能となり、2020年10月で退所。
11月から、在宅介護が始まった。
設楽さんは、平日は朝6時頃起きて朝食を用意し、妻に食べさせ、デイサービスに送り出したあと出勤。帰りは19〜20時頃、買い物をして帰宅。夕食を用意し、妻に食べさせ、入浴をサポート。妻を寝かしたあと、洗濯・掃除などの家事をして、1時頃就寝した。
2021年4月。設楽さんの会社の協力もあり、経済的に安定してきたことから、食事や入浴をヘルパーに任せ、設楽さんは仕事やそのほかの家事に専念することに。
「妻は現在、障害者1級、要介護2です。右半身完全麻痺、高次脳機能障害、失語症残存でIQは70台ですが、以前の妻の3〜4割程度は戻っていると思います。意思疎通は私とはほぼ100%できますが、聞くことはできても、話すことはまだたどたどしく、初めての人にはよくわからないことも多いと思います。また認知や記憶に障害が残り、やり方や言ったこと、したことを忘れたりします。今は杖があれば少しの距離なら歩けますし、着替え、トイレ、食事も1人でできます。ただ、脳卒中によるてんかんで、年に1〜2回は救急搬送することがあるため、24時間の見守りが必要です」
2018年1月に妻が倒れてから、今年で7年目に入った。
「毎日が大変でしたが、思えば結婚してから、入院中の半年間が、もっとも妻と一緒に過ごし、もっとも会話をした日々でした。おかげで夫婦関係もこれまでにないほど良好なものになりました。それが病気のくれた一番のご褒美だったと思っています」
しかしきれい事だけでは済まされない。
「高次脳機能障害の妻は、その障害の一つでこだわりや疑念が強く、何度説明しても理解しようとしません。また、もともと自分にも他人にも厳しい性格の妻は、人に完璧を求めることがあり、人が自分の思ったようにできないと、ひたすら文句を言い続けます。私も仕事で疲れている時は聞くに耐えず、我慢できずに声を荒らげることがありました」
そんな時は距離を置き、時間をおいた。そして息子は2022年2月、2度目の自殺騒ぎを起こした。
「息子とはたくさん話しました。息子は『自分が生きていることが迷惑になるから。生きているのがつらく苦しく、生きづらいから』と言います。死にたい人間をとめることはできません。私も過労とストレスで心臓を患い、もう無理は効かず、その余裕がないことも伝えました」
設楽さんは3年ほど前、毎朝胸の痛みで目が覚めるようになり、病院へ行くと、
「不安定狭心症です。原因はストレスと過労だと思われます。できる限りストレス溜めない、頑張り過ぎないようにしてください」
と診断され、現在も通院・服薬している。
「不安定狭心症は、突然死が多い病気です。当時の私は家事を全てこなし、仕事をしながら妻のことをしていたため、体が悲鳴を上げたのだと思います。妻が倒れてから、子どもたちには『1ミリもママのことをしなくていい』と言っていましたが、診断されてからは、娘には洗濯、息子には時間がある時に母親の料理をつくるようにお願いしました」
妻が倒れた時から、自分に万が一のことがあった時のために、設楽さんは資産運用をしていると話す。
「私は結婚以来、料理や洗濯などしたことはありませんでしたが、今では何でもできるようになりました。また、妻の介護は夫婦仲を確実に良くしました。以前はお互い会話すらしない日も多々ありましたが、今は今日あったことや体調など、いろいろなことを話すようになりました。結婚30年経って、お互いを必要とする関係を構築できたのは、介護なくしてはありえないことだと思います」
一昨年は、妻と2人きりで沖縄や九州旅行に出かけることができた。
「今の私の目標は『妻より1日でも長く生きる』です。30年以上も前に私が一目惚れした妻は、半身麻痺だろうが失語症だろうが関係なく、やっぱり今も可愛いと思えます。介護によりできないことはありますが、介護があるから見られる夢もあります」
家庭の数だけ物語がある。「老老介護」「若若介護(20〜40代の家族が50〜60代の身内を介護すること、また、40代〜50代の夫婦が同年代の配偶者を介護すること)」と一口で言っても、介護の仕方も十人十色。だがひとつ共通して言えることは、後悔しないためには、納得のプロセスを踏むことだ。
設楽さん自身、介護のおかげで夫婦関係が改善したと言っているように、介護を通して家族関係が修復されるケースも少なくない。誰かのためではなく、自分のために、後悔しない道を選ぶことが大事なのだろう。