重要なのは「客観性」と「速報性」なのか
もし報道において最も重要なのが「客観性」と「速報性」であるというのがほんとうなら、たしかにそのような「知的プロセス」は無用のものである。出来事の「解釈」に踏み込めば「主観」がまじるし、歴史的「文脈」を論じれば速報性とは無縁の「長い話」を語らなければならない。ストレートニュースを「未加工」のままごろんと放り出ておけばメディアの仕事は終わるなら話は簡単だ。
でも、そう思うようになってからメディアの頽廃はとめどなく進んだ。その記事が何を意味するのか、書いている記者も読んでいる読者もわかっていないようなニュースに読む価値はあるのだろうか。私は「ない」と思う。
新聞から読者が離れた最大の理由は新聞から批評性が失われたからである。批評性というのは今自分たちが囚われてる「臆断の檻」から逃れ出て、少しでも自由に言葉を語りたい、少しでも知性の可動域を拡げたい、少しでも遠くまで想像力を疾走させたい……という書き手の「切望」のことである。そのような「切望」を新聞記事からはもうまったく感じることがない。
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