勢いに乗る大内義隆が周防国山口から北上、出雲に乱入

同年(1542)2月には、先遣隊が「新庄西禅寺」(現・北広島町)に到着した。無理のない進軍速度である。3月には、義隆本隊も安芸国佐東郡銀山城から北に進軍して、西禅寺に入った。

ここからは周囲に残存する敵勢力をひとつずつ制圧しながらの進軍である。

なお、この時期、義隆は朝廷に奏請そうせいして自分の家臣とする「有道保国ありみちやすくに」なる人物を太宰大監に任官してもらっている。義隆には信長クラスの傾奇者かぶきものでもやらないような、お茶目なところがあり、過去には「山口興家やまぐちおきいえ」「筑紫海静ちくしみしず」「漢人着朝かんどつきあさ」という人物にも官途を求めて認められている(名前のルビは筆者の想像)。