一生懸命やれば開ける3つの道
長嶋さんの言葉、「一生懸命にやればできるようになり、もっと一生懸命やれば楽しくなる。そしてもっともっと一生懸命やれば、誰かが助けてくれる!」を心に刻んでいる。
2018年の夏頃に体調を少し崩されたようで、リハビリに行っても逢えなくなり寂しく感じていたが、ニュースで伝え聞く快復の報せに安堵して、毎週この病院でミスターを待った。
2019年、外来でリハビリに通っていた私は、国の決めた規則でHリハビリテーション病院に通えなくなった。長嶋さんにお礼が言えなかったことだけが心残りであった。
それから2年経って、長嶋さんにはテレビで逢えた。東京2020オリンピックはコロナ禍で2021年に延期され始まった。私はオリンピックにはあまり気持ちが向かなかったが、ただ聖火ランナーとしての長嶋さんだけは気になっていた。最後にお会いした頃には聖火を掲げ走ることに一心で、まるで「走る」ようにリハビリで鍛錬されていた長嶋さん。
開会式で両腕を抱えられた姿には、私と別れた時とのあまりの違いに驚いた。しかし夢を叶えられた長嶋さんは一点の曇りなく笑っておられた。
「師匠! 俺です、シオミです……」
新国立競技場に入ってこられたときの笑顔は、あの日々、小さなリハビリ室で、懸命のリハビリの間に私に向けてくださった笑顔と少しも変わらなかった。どこであっても長嶋茂雄さんで在ることが格好良く、胸打たれたのだった。
「師匠! 俺です、シオミです……」テレビに向かって呼びかけた。
リハビリの世界でも、勝つか負けるかの闘いに身を投げてこられた長嶋さん。4年間、週に1回ご挨拶をして、少しお話しするだけであったが、私の心に突き刺さるものがあった。弱音を吐くな!
今もどうして長嶋さんと出逢えたのかわからない。
時期や曜日、時間帯が少しでもズレていたら……。
あの4年間は奇跡であった。いつも同じ態度で明るく、向き合ってくださったあの出逢いのことはエピソードとしてしか書けていないが、長嶋さんが私と同じ症状を抱えていらしただけに誰よりも説得力があり、リハビリの師匠であった。