脳出血の後遺症とはどのようなものなのか。60代後半で突然この病に見舞われた俳優の塩見三省さんは「脳のことは誰にもわからない。退院してからも医者にも説明のつかない痛みが左半身にずっと続いたので、自分なりに原始的な手段を試みた」という――。

※本稿は、塩見三省『歌うように伝えたい』(ちくま文庫)の一部を再編集したものです。

左半身を襲う絶え間のない痛み

発症してからは必死になって病と闘い、戻るべき現実生活に分け入り、無我夢中で階段を駆け上がってきたが、もう二度と回復の見込みのない身体、左半身不随の後遺症の上に、痛みが容赦なく私を襲う。

恐らくこの半身麻痺は身体が動かないだけでなく、各部の筋肉の緊張が高まり痛みが出ているのだろう。私の場合は足がつった時に出るような痛みが肩から足先までずっと左半身にあるのだ。

回復期のリハビリ病院に入院している時、担当医から身体に痛みが出ているかを執拗しつように聞かれた。その時は痛みは無かったので聞き流していたが、あの忠告は退院してからのことだったのか。そういえばあの頃は医者の判断に反発していたが、生活のスタイル、左半身の手足の具合、杖と装具、全てがその通りになった。

もう決して治ることのない障害者に、麻痺して感覚のないはずの左の手から足先までの半身には「絶え間のない痛み」が襲ってくる。リハビリを頑張るのと比例するように痛みは増す。

感覚がないのだ、なのになぜ痛い。

絶え間のないこの肉体的なしびれと苦痛が、私の生きていく気力と精神力をじわじわとえさせる。

壊れた脳を自分は騙しているのか…

医者にも説明がつかないこの痛み。これからも果てしなく続くであろうこの痛みを伴う身体がもたらす、得体の知れない不安と恐怖。私はあまりの辛さに何度も屈み込んだ。しかしこれだけは誰にも助けてはもらえない。ここはいくら苦しくともこの病の後遺症を持つ者として、この社会に紛れ込んで生きていくためには、自分自身で乗り越えなければならない。

私は苦しくとも負けるわけにはいかないのだ。

この絶え間のないジンジンと感じる痛みは生きていることの実感なのであろう。そう思ってジッとその状態で自分の身体と向き合ってみる。もう元のように戻るのではなく、この身体に合わせた精神力を付けなければと考えるようになった。そんなことを考える私は「病と闘ってきた」段階から進み、なんとかして「病と共に生きようとしている」のではないかと思うようになってきた。そういえば撮影に集中している時は痛みを感じていない。どうやら脳の発する痛みが緩む時があるようなのだ。

この日常の苦しい時間に対処する中で、またこうして何かを書いている時も気がつくと痛みが少し緩んでいるのだ。気をそらし、何かに夢中になると痛みから解放される。

「壊れた脳をだましている」のか、ヨシ! 私は色んな対処の仕方を時々に応じて考え、すり抜け、受け入れ生きようとしている。

塩見三省さん
撮影=安保文子