駄目だしの「イチ、ニイ、サン!」

ある日のこと、私はほんの少し弱音を吐いてしまった。

「シオミさん、これも人生だよ……」

長嶋さんに静かにそう返され、言われた時はこらえきれずに泣いてしまった。

すると、そんな私を館内に響きわたる大声で励ましてくださった。

「ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ!」

私の胸の内に熱いものがいっぱいに溢れた。

ある映画が完成して、長嶋さんは公開前の試写会での私の姿をテレビのニュースか何かでご覧になったのだろうか。私の立ち姿についてこう聞かれた。

「シオミさん、あれは何分くらい立ってないといけなかったの?」
「うーん10分ぐらいです」

私がそう答えると、

「駄目だよ、10分ぐらいは頑張らないと。じゃあ見ているから歩いて!」

長嶋さんはそう言うと、いきなり私の「杖なしでの歩き」を見てくださった。私は緊張感で思うように歩けない。足もグラグラし倒れそうになりながらも、なんとか歩く! 長嶋さんも首を振りながら大声で声を掛けてくださった。

「イチ、ニイ、サン!」

長嶋さんのノックを受けたのは、おそらく監督をなさっていたあの頃のジャイアンツの選手以外では初めてだろう。

失敗を恐れず、ささやかな進歩を喜び合える関係。ここにまぎれもなく私の居場所があった。

「勝つ」とは「精一杯生きろ!」である

2017年の春、ジャイアンツの宮崎キャンプの限定品の帽子を長嶋さんから頂いた。ツバのところには「長嶋茂雄 3」とサインを書いてくださった。もう嬉しくてそれからはリハビリで外出する時には必ずこの帽子を被っていたら、夏の暑さもあり汗でサインの字がにじんで消えかかってしまった。

夏が過ぎ秋口に、長嶋さんに思い切って打ち明けた。

「スミマセン、この帽子のサインが……」

そうしたら今度はYGのロゴが入った色紙に「勝つ 長嶋茂雄 3」と書かれたサインをくださった。すぐに神保町の文房堂で額装してもらった。長嶋さんの「勝つ」は「精一杯生きろ!」ということだと思い、一緒に撮っていただいた写真と共に今でも部屋に飾っている。

リハビリテーション病院での長嶋さんは車椅子の人にも腰を屈め、視線を相手の人に合わせて笑顔で話される。この病気では腰を屈めてキープすることは大変なのである。長嶋さんは日本のスーパースターであるけれども、あくまでもこの居場所では、同じ病と闘っている人たちと同じ立場で目線を交わされる。温かく、そしてジェントルな人であった。

1962年撮影の長嶋茂雄
1962年撮影の長嶋茂雄(画像=『虹をかける男 実録小説長島茂雄』/PD-Japan-organization/Wikimedia Commons