「変われぬ野村」「変われない自分」
会社創立80年の節目にあたった06年、野村は過去最高の税引前利益5450億円をたたき出した。祝いの年に過去最高益を出し、大いに意気揚がるはずだった。だが、古賀に精彩がない。覇気がない。全国の支店を回りながら、幹部との会合を重ねながら、古賀は呟いていた。
「どうしてなのだろうか……」
過去最高益に古賀が酔えないのには、理由があった。外資系証券会社のゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、UBS、ドイチェ銀行など……彼らと比較すれば野村のビジネスが、はるかに後塵を拝していることは明らかだった。
自己資金の投資事業、ヘッジファンド関連の金融商品、中国、インドに代表される新興国ビジネス……、欧米の証券会社が莫大な利益を挙げる分野で野村は全く振るわない。古賀はその状況を十分に認識していたはずだが、動かなかった、いや動こうとしなかった。こうした古賀体制に嫌気が差した部長クラス、これからの野村の屋台骨にならねばならない人材が次々と外資系などに流れたのだ。
古賀体制の末期、古賀のタバコ量がさらに増え、チェーンスモーカーとなっていた。「最後の数カ月は睡眠薬を使ってようやく眠りを得るような状態だった」という。「変われぬ野村」「変えられない自分」との自問自答の日々が続いたのだろう。
「野村は変わらなくてはいけない」
08年3月に、古賀は社長交代の記者会見で、図らずもこのように胸の内を語り、自らを変えられなかった経営者は“変化”を、次期社長の渡部賢一に託した。野村内部では“ナベケン”で通っている財務畑出身の内務官僚だ。
この記者会見の半年後に、渡部は米証券大手リーマン・ブラザーズの数部門の事業買収を発表し、「内向きな野村」の殻を破った。“国際派”とも称される渡部だが、キャリアを精査すると特筆すべきは、破綻処理能力である。(文中敬称略)