46年前も女性は義実家で疲れ果てていた
「バカなことを言うな! 今と昔では時代が違うだろ」とツッコミが入ることだろう。その通りだ。家族や夫婦の価値観など、時代によってコロコロと変わっていくものなので、「伝統」をモノサシにすることなどナンセンスだということが言いたいのだ。
問題なのは、そんな風に価値観がコロコロと変わっていくはずなのに、「帰省」ということに関しては「嫁」という立場の人たちが「損」をすることが圧倒的に多いという事実だ。
1978年8月5日の「読売新聞」に、39歳の主婦が「お嫁さんを犠牲にしないで」という投書をしている。
この方は夫の両親と同居をしているのだが、正月や盆になると兄弟家族がこの家に集結して、20人以上も押しかけて泊まるという。その食事や洗濯などを全てこなして、「家族」が団らんを楽しんでいる時、この人は疲れ果てて2階で薬を飲んで寝ているという。楽しそうな笑い声を聞いた時の気持ちをこう綴っている。
誰かの犠牲のもとに成り立つ「団らん」
「夫の家族たち」の幸せな正月のため、本来は「他人」であるはずの妻が犠牲になっているという構図だ。これは46年前の「帰省ブルー」だが、妻が求められること、他人の中での肩身の狭さなど、根本的なところは今も何も変わっていない。
だからこそ、夫側も「妻への依存」をやめるべきなのだ。この主婦の方も正月やお盆は、自分の実家に里帰りして、年老いた父母や、遠方にいてなかなか会えない妹と一緒に過ごしたいとして、こう訴えている。
「お正月を家族みんなで過ごす」というのは、素晴らしい日本の文化風習だ。家族がいる人はぜひやるべきだと思う。
しかし、その「団らん」は誰かの犠牲のもとに成り立っていないだろうか。特に「仕事が忙しい」を言い訳に、家事や育児などすべて妻におんぶに抱っこになっている男性諸氏は、ちょっとでいいので胸に手を当てて考えていただきたい。