天皇は「国民統合の象徴」

「2の理由」は、天皇という地位は「国民統合の象徴」である、ということです。代表するものと代表されるものの関係は同質です。それに対して、象徴するものとされるものの関係は異質である、という違いがあります。だから国民の代表ならば国民ですが、国民統合の象徴ならば“国民ではない”という関係になります。

しかし、そのように象徴する天皇、皇室と象徴される国民とが異質であっても、国民は男女によって構成されています。当たり前ながら国民の約半数は女性です。にもかかわらず、その半数を女性が占める国民の統合の象徴に“男性しかなれない”というルールは、いびつではありませんか。

もちろん、男性天皇でも男女を含む国民の統合を象徴することはできます。実際にこれまではそうでした。昭和天皇も上皇陛下も今上きんじょう陛下も、皆さま男性です。しかし、それで象徴として何かが足りない、ということではありません。

しかし、個別の天皇の象徴性ということではなく、国民統合の象徴になれる方が男性だけに限られている“ルール”自体の妥当性には首をかしげます。やはり見直すべきではありませんか。

天皇に最も近い後継者がふさわしい

男女によって構成される国民統合の象徴から、あらかじめ女性だけが、ただ「女性だから」というだけの理由で排除される……というルールは、やがてそのルールを前提とした象徴という地位そのものの正当性(理にかなって正しい)にも、疑問を生じさせるのではないでしょうか。

そもそも男性天皇ならば国民統合の象徴になりえても、女性天皇では国民統合の象徴にはなりえないという、客観的な根拠があるのでしょうか。

天皇、皇后両陛下にお子さまがいらっしゃっても、そのお子さまが女性ならば国民統合の象徴にはなりえない、という理由がどこにあるのでしょうか。

天皇陛下のお子さまでも女性ならば国民統合の象徴になれないのに、民間に国民の子どもとして生まれ、たまたま養子縁組で皇族の仲間入りをしたら、もう「男性だから」国民統合の象徴にもなりえる。そんなルールは、果たして人々の納得を得ることができるでしょうか。