ストーカーを扱った異色の“変態小説”
川端康成というと、学校の教科書に作品が載るノーベル賞作家だということもあり、なんとなく高貴で美しく、ピュアな作品を漠然とイメージするもしれません。
しかしその実、男女の関係にしても、出会い、愛し合い、お互いに求め合うというふうな一般的な関係にはない、まったく違った世界観を描きました。
どういうことかというと、自分にとって美しい者を一方的に追いかけるという“非対称的な関係性”を描くことが多いのです。
ところが、どんな変態的でいびつな恋愛像であっても、川端という天才的な文豪の手にかかると、限りなく美しく描かれてしまうのが、さすがにノーベル賞作家のすごいところです。
たとえば、長編小説『みずうみ』では、現代でいう「ストーカー」を扱った異色の変態性を描いています。
美しい黒目のなかを裸で泳ぎたい
主人公の桃井銀平は、高等学校の教師でしたが、教え子との恋愛事件を起こして教職を追われます。銀平は足の指が曲がっており、その醜さが強調されているのですが、美しい少女を見ると憑かれたように、あとをつけるという異常な行動を繰り返します。
気に入った美しい女性を見かけると、あとを追ってしまう奇行癖のある銀平が、ある少女の美しい黒目のなかの「みずうみ」を裸で泳ぎたいと願う物語なのです。
どうでしょう、なかなか変態的な観点ですよね。銀平の行動は、まさにストーカーそのもの。美しい女性を見つけては、とにかくつけ回すのです。川端は、このように描写しています。
「この時も、柴犬をひいた少女が一人、坂の下からあがって来るだけだった。いや、もう一人、桃井銀平がその少女の後をつけていた。しかし銀平は少女に没入して自己を喪失していたから、一人と数えられるかは疑問である」
『みずうみ』(新潮文庫)
『みずうみ』(新潮文庫)
この作品が発表された昭和29(1954)年当時、「ストーカー」という言葉はありませんでしたが、その概念は現代のストーカー行為と同じです。
そんな作品にもかかわらず、川端の圧倒的な筆力によって描かれる世界観は、本来はあってはならない共感すら呼び起こすのですから恐れ入ります。