史料価値に気づいたのはボランティアだった
最近の日本のニュースでとても印象に残ったのが、産經新聞12月7日付の「ゴミの中から鳥羽城の未発見絵図 災害史研究のマスターピースを地域の連携プレーで救出」という記事だった。
かいつまんで言うと、三重県鳥羽市のリサイクル施設に持ち込まれた紙ごみの束から、江戸時代の重要な絵図が発見されたという話なのだが、“さすが日本!”と思われることや、今の時勢に思いを馳せることなど、私の脳裏をいろいろな思いが駆け巡った。
ちなみに発見された貴重な絵図というのは、暴風雨で崩落した鳥羽城の石垣の被災状況を幕府に報告した「修復願絵図」だそうだが、まず、この貴重品の発見に至る経緯があまりにも何気なくて、凄い。
記事によれば、ことの始まりは今年の7月13日。鳥羽市の家庭ごみのリサイクルを受け付けている「リサイクルパーク」に、名古屋市の50代の男性が、古い史料などが詰まった段ボール箱を持ち込んだ。親御さんの住んでいた鳥羽市の空き家を整理した際の不用品、要するに「ゴミ」だった。
ところが、対応した有償ボランティアの男性(72歳)が中身を見てピンときた。「書いてある文字が達筆で気品のようなものが伝わってきた」ので、廃棄はやめて、鳥羽郷土史会に持ち込もうと考えたという。
私はすでにここで、複数の点に日本らしさを感じた。
「働かずに暮らす」を望むドイツ人とは大違い
まず、「ゴミ」として持ち込まれたものがゴミではないと判断するには、それなりの教養が要る。私の住むドイツなら、リサイクルパークのゴミの受付係として、それほど教養のある人が働いている可能性は非常に低いし、たとえ働いていたとしても、わざわざ中身を調べて、しかもそれを研究者に見てもらおうなどとは、まず考えない。そんなことをしたら、自分の余計な仕事が増えるだけだ。
さらに言えば、72歳の教養ある人が、有償といってもおそらく雀の涙程度のアルバイト料だろうから、何かの理由で極貧になってしまった場合を除けば、リサイクルごみの受付係として自発的に働いているということ自体が、ほぼあり得ない。大半のドイツ人は、年金生活者となり、働かないで暮らせる日を待ち望んでいる。
ところが日本ではここらへんの考え方が根本的に違っていて、多くの人の頭の中では、「元気で働けることはありがたい」という哲学が今なお健全だ。欧米では、博士号をとって優良企業に就職すれば、若くても最初から個室を与えられることは珍しくない。看護師も、上下関係を決定するのは年齢でも経験でもなく、持っている資格によって命令系統が定まる。社会には歴然とした階級があり、それこそ読んでいる雑誌から、行く店、利用する交通機関までが異なる。そして、それが入れ替わることはほとんどない。