「自分は学者としてやっていける」

こうして武士となった32歳の源内だったが、高松藩にこき使われたり、藩士として束縛されるのがほとほと嫌になり、宝暦11年に藩籍を抜けたい(武士をやめたい)と藩庁に申し入れたが、なかなか応じてもらえなかった。

ようやく半年後に許可が出たが、離藩のさい「仕官御構い」という条件を飲まされた。これは、旧主家(高松藩)による再就職の禁止措置であった。つまり、幕府や他藩に仕官する道が絶たれてしまうのだ。

けれど、この頃の源内は、「他家に仕官せずとも、自分は学者としてやっていける」という自信を持っており、その条件を受け入れて士籍を離脱したのである。34歳のときのことであった。